【感想】①スクルージの冷徹・ケチぶり『クリスマス・キャロル』ディケンズ著

クリスマス・キャロルクリスマスキャロル
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当時、小学生だった頃

この『クリスマス・キャロル』が

国語の読解問題に出題されたのですが

(中学入試用の模試テストです)

その時、息子は

「主人公(スクルージ)が可愛そうで

怖くて読んでられなかった。」と

言っていたのを

思い出して今回クリスマス前でも

あるので

“どれだけ暗くて悲惨で怖い“のか

読んでみようと思いましたので

紹介します。

あらすじ

イギリスの文豪、

チャールズ・ディケンズの作品。

1843年に発表。

冷徹でケチな主人公スクルージが

クリスマスに訪れた三人の幽霊に

過去、現在、未来の自分の知らない

自分を囲む人々の様子を見せつけられて

改心していくお話。(簡単に言えばね😉)

第一章 マーレイの亡霊

このマーレイというのは

主人公スクルージの仕事の相棒。

しかし、マーレイはもうこの世にいない。

スクルージはマーレイの亡き後も

商売を続けていた。

スクルージは冷酷でケチな男だった

第一章ではスクルージがどれほど

冷酷でケチな男だったのかを

巧みに表現されています。

ケチなスクルージの表現

彼はひきうすを掴んだら放さないような

けちな男であった、

あのスクルージは!搾り取る、捻じり取る

ひっかく、かじりつく。

貪欲なガリガリ爺であった。

堅く、鋭いことばは火打石のごとく

だだし、どんな鋼鉄を持って行っても

唯一の一度も火を打ちだしたことがない

という代物で、秘密を好み、交際を嫌い

かきの殻のように孤独な老人であった

“火打石“に例えられるだけでも

大概なのに

“一度も火を打ち出したことがない“

と言う表現は相当なケチぶりを表すのに

充分過ぎます。

冷徹なスクルージの表現

どんなに吹きすさぶ風も彼ほどに

きびしくはなく、

どんなに降りつのる雪も彼ほど

一徹でなく

どんなにどしゃぶりの雨も彼ほど

頑固にいっさいをはじき返すことは

しない。

(中略)

スクルージに比べて、たった一つの点で

勝った。

すなわち雨や雪や霧みぞれには

気前よく「恵みをまたらす」という

ことがあったが、スクルージには

金輪際、そんな素振りは見せなかった。

この“冷徹“ぶりに次ぐ“ケチ“ぶり!

あんなに人間を困らす“天災“であっても

「恵み」をもたらすのにスクルージは

ただ、“冷徹“なだけみたいな印象を

与えたいにしても

この“皮肉“はきつい!

しかし、

このような人間描写が巧みなのが

この作品の面白いところです。

わかりやすいくスクルージの性格を

ユーモアたっぷりに表現されています。

また、

スクルージが人からどのように

思われているかを

これでもか!と言わんばかりに

表現している

ところがあるので紹介します。

乞食でさえも彼にびた一文ねだることはないし

子供たちだって、今何時です?と時間ひとつ

訊ねたこともなく、男でも女でも

スクルージの今までの生涯のうちに

彼に向かって道をきいた者はない。

盲導犬でさえ、彼を知っているらしく

彼の姿を見ると

飼主を戸の陰や路地の奥に

引っ張り込んで行った。そして

「いやな眼を持つくらいなら

まるっきり眼のないほうが

いっそましですよ、眼の見えないご主人様」

とでも言うつもりであろうか

頻りにしっぽを振るのであった。

これは、わかりやすいけれど

ちょっと、ここまで言うことないじゃない!

って言うくらい“嫌われ者“感を出して

いますよね。

盲導犬がスクルージを見るぐらいだったら

眼が見えない方がいいって言うくらいって😅

作者のディケンズはどう書けば

読み手が面白く思ってくれるか

考えながら書いているように思います。

ただ、「嫌われていました」だけでは

この作品では足りないのでしょう。

これからのストーリーを生かすためには

これくらいスクルージを貶めておく

必要があるのです。

まとめます

この作品ではこのスクルージが

どれくらい“冷徹“で“ケチ”かを示さなければ

いけない章なのでこのぐらいの

比喩(揶揄?)表現は必要ですが

その時の言葉のチョイスが

これほど面白いと文学作品に“敷居’を

感じている人にとってはとっつきやすい

ので、子供の教材にもなるのでしょう。

ちょっとやりすぎ感もあると

批判する人もありかもしれませんね。

クリスマスキャロル
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