【花の詩人】②詩画に明日を託して『愛、深き淵より』星野富弘著

愛、深き淵より愛、深き淵より
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本書は24歳の若さで

転落により脊椎損傷になった

元中学生体育教師が闘病の末

残された機能を使って

水彩画を描き、それに彼の心情を

綴った詩を載せ

発表し続けている“花の詩人“に

なるまでの闘病記録なのですが

彼が口に筆をくわえて描いた

絵や詩集が人々の心を打つのは

本書に記されている

数々の心の葛藤や絶望の経験が

その根拠を示しているのです。

時々自分はだだ生きているだけと

感じてしまう空虚感に襲われる時

これを読むとそんな焦りは

どこかへ行ってしまうように

感じられる作品です。

眠れない夜

一命をとりとめましたが

不安と孤独で眠ることができません。

夜は健康な時の何倍も長く感じます。

そんな時著者は羊を数えたり

してみましたが

効果はありませんでした。

そんな時ふと、萩原朔太郎などの

暗誦している詩を

いくつか諳んじてみたところ

穏やかな眠りにつくことが

できました。

それをきっかけに

もし、このまま運よく

生き続けることができたなら

自分もこれらの詩のような

命ある言葉をつくって

もっとたくさん、心の中に

貯えたいと思っていました。

これらが著者が詩を作るきっかけと

なったのでしょう。

回復していく者への嫉妬

もう、誰も自分のことを“治る“と

言わなくなり、

いくら、希望を持っていても

自分の体はがんとして動かない。

何日すぎても、何月すぎても…

著者の場合、

“寝たきり“や“動けなくなる“

なんてことと対極的な

自他ともに認める人一倍健康な

青年だったのです。

今の現状を認めるのは

並大抵のことではなかったに

違いありません。

ター坊はスキー大会で転倒し

著者と同じように四肢が麻痺し

動かせません。

そんな、同室の中学生の少年に

心の中で

「何も知らないこの純真な少年を

 なんとかしてください」と

願っていた。

しかし、ター坊は著者と違い

徐々に感覚が戻り奇跡的な回復を

していきます。

それを間近でみながらそれに

喜びながらもその気持ちに

小さなかげがあることに気づきます。

そのことをこんな詩に綴っています。

黒い土に根を張り

どぶ水を吸って

なぜきれいに咲けるのだろう

私は

大勢の人の愛の中にいて

なぜみにくいことばかり

考えるのだろう

(花しょうぶによせて)

愛、深き淵より 星野富弘

周囲が不幸だと自分は幸福だと

思ったり

他人が幸せだと自分は不幸だと

思ってしまう心の弱さを痛感します。

自分は少しも変わらないのに、

幸福になったり不幸になったり

してしまう。

ター坊の回復を素直に喜べる

自分でありたいと願うのです。

字を書きたい

著者は長い間の病院生活の中で

励ましの言葉や手紙をもらっても

それをお返ししたいと思っていた

のですが

身体が動かないため、

その術がありませんでした。

ある時、退院していく高久君に

みんなが愛用の帽子に寄せ書きを

しています。

高久君は重い病気なのでこれからも

闘病していかなければ

なりません。

そんな高久君に

自分も何か書いてあげたい!と

思い「あ〜手が動いたら」と

悔しく焦った著者は

口に思わずサインペンをくわえ

書くことにしました。

この時は著者の母親が帽子を

動かし「お富」となんとか書けた

程度でした。

これが著者の詩画家への初めの一歩

だったのです。

神様が一度だけ叶えてくれるなら

それから母親を助手に

口で筆をくわえて文字を書く

練習をし始めます。

四ヶ月ほどで手紙が書けるように

なってきました。

傷病前から何事も一生懸命な

性格なので

その分イライラも

積もっていたのでしょう。

特に食べたくない食事などの時は

介助している

母親に当たり散らします。

「チキショウ。もう食わねえ。

 くそばばあ」

ちらかったご飯をひろいあつめながら

母は泣いていた。

「こんなに一生懸命やってるのに

 くそばばあなんて言われるんだから…」

「うるせえ。おれなんかどうだって

 いいんだ。

 産んでくれなければよかったんだ。

 チキショウ!!」

母は涙を拭きながら、

自分の食事に出ていき、

しばらく帰ってこなかった。

愛、深き淵より 星野富弘

母親の助けがなくては何もできない

状態なのは十分わかっていても

あたりちらせられる相手は

母親しかなかったのでしょう。

しかし、

介護疲れした母親にとっては

わかっていても辛い言葉だった

ことでしょう。

それでも著者はまだイライラの出口が

見つかりません。

そんな時、著者の周りにハエが

飛び回ります。

当然、著者は追い払うことは

できません。

母親はハエ叩きで著者の足のあたりで

叩こうとしましたが

今度は、顔の当たりを飛び回ります。

ここで、私だったら

ここ時ぞとばかりに

ハエ叩きで顔の一つも叩いて

やろうと考えてしまいますが😆

著者の母はそっと触るように

素手で抑えてようとしました。

ハエは逃げてしまいましたが

このそっとふれた母親の手の

感触が身体に広がり

怒りがおさまっていったのです。

私を産んでくれたたった一人の

母親なのだと実感するのです。

そんな母親のことを読んだ詩です。

神様がたった一度だけ

この腕を動かして下さるとしたら

母の肩をたたかせてもらおう。

風に揺れる

ぺんぺん草を見ていたら

そんな日が

本当に来るような気がしてきた。

(なずな)

愛、深き淵より 星野富弘

左の肩を右手でもみ

右の肩を左手でたたきながら、

自分を無にして尽くしてくれた

母親を見ていたらこんな詩が

できたのでしょう。

まとめます

このような詩や絵画は雑誌や新聞にも

連載されたり

下顎で動かせる車椅子で移動したり

静かな生活を送っている。

昭和56年には結婚され

生まれ育った群馬県の村に

富弘美術館が建てられ

作品が常設されている。

このほかに多数の著書があり

現在も活躍されています。

著者だから感じられた感性は

確かにあるのですが

傷病の有無関係なしに

人々の心の拠り所になるような

作品がいっぱいあります。

機会があったら一度、

美術館には行ってみたいです。

愛、深き淵より
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