大事な人を亡くしたとき、
または亡くしてしまいそうなとき、
その深い喪失感は本人以外の
誰も理解することは、
難しく
周りのいたわりの
どんな優しい言葉がけも
その深い悲しみに沈んだ心には
届かないときがあります。
そんなとき、この絵本を開くと
頑なな心にあたたかく寄り添って
くれるような作品なので
紹介します。
おでんくん あなたの夢はなんですか
2002年初版の絵本で
このキャラクターでNHKの
子供向け番組で放送されていたもので
それを見た子供が欲しがったので
買ったものなのですが
父親を亡くした私がこの本を
片付けながら、ちらっと
読んだとき
「誰の言葉より慰められた」と
感じた内容でした。
著者のリリーフランキーさんは
これと同時期に
『東京タワー〜おかんとぼくと、
時々、オトン〜」と言う自叙伝的な
小説を出版されています。
これは、リリーフランキーさんが
母親を亡くしたときに
書いたもので
著者のようなもういい大人が
子供のように母を偲ぶ様が
当時の私のようだったので
この絵本を読んだとき
癒されたのはそのせいだったかも
しれません。
いのちあるものはすべてわかれのときがくる
おでんを買いに来たお客さんの
お母さんは病気に侵され
いのちが風前の灯状態でした。
最後に大好きだった“おでん“を
食べさせたくて
おでんくんのいる
屋台まで息子は買いに来ていました。
わあ〜顔色が悪い!
そんなお母さんに大好きなおでんを
食べさせています。
お互いポロリと涙が出ています。
それを聞いた
おでんくん(多分、もちきんきゃく)は
いてもたってもいられません。
ねりものの花が満開で
その下でおでんくんは
だいこん先生に教えを乞うています。
だいこん先生…
どうして人は死んでしまうのですか…?
おでんくんは村のちょうろう、
だいこん先生に聞きました。
「おでんくんよ……。
いのちあるものはすべていつか、
わかれのときがくる。
しかたがないことじゃ…。
だが、なにごとも、あきらめては
いかん。
むりだとおもっても、
だめだとかんじても、
それをあきらめてはいかんのじゃ」
『おでんくん』リリーフランキー著
“いつか終わりがくる“
それがいのちの定めなのです。
しかし、どうしてもあきらめられない
気持ちがあります。
著者は終わりがあるけれど
最後まであきらめてはいけないと
おでんくんに諭しています。
おでんくん諦めません!
おでんくんはお母さんと
生き別れし、お母さんを探している
毎日だったので
いつか、生きてお母さんに
会いたいと言うのが
おでんくんの“夢“だったので
お客さんのお母さんの命も
あきらめるわけには
いかないのです。
おでんくんお母さんの病気を退治する
胃から体内に入り
お客さんのお母さんの病気
(ここでは、ガンノスケ)を
自分の餅を取り出して
パンチにています。
しかし、
このパンチでガンノスケは
粉々のこガンノスケになり
散らばっていきます。
このガンノスケの怖いところは
このこガンノスケができて
しまうことなのです。
そこで、おでんくんだけでは
手に負えないと友達達も助っ人として
口から入ってきます。
なんがグレープみたいな
ものを掴んでいます。
これはこんにゃくくんでしょう。
もちもちパンチも
負けじと応戦しています。
黒くてメガネが昆布です。
この消化されにくいものが
胃腸の“お掃除隊“として登場して
いるのですね。
リアリティあります。😆
お母さん、おでんくんたちのお陰で
元気になったみたいです。
奇跡が起こったのです。
おでんくん日記を書く
こぶ月ちくわ日ごぼてん曜日と書き始め
日記をつけます。
“おかあさん、きょうはびょうきの人の
おなかをそうじしてよ。
どうして人はびょうきになるのかな?
おでんをたべないからなのかな?
おでんはからだにいいのにね。
それとね、いとこんくんがね…
『おでんくん』リリーフランキー著
おでんくんは
“お母さんと暮らすのが
おでんくんの“夢“なのです。
夢は簡単に諦められません。
おでんくんは
これからも頑張っておかあさんと
暮らせる日がやってきてほしです。
まとめます
最後まであきらめないことを
前提に考えても
命はいつか終わりがきます。
そこはいつか受け止めなければ
なりません。
おでんくんは
お母さんとなかなか会えませんが
お母さんがどこかで生きている限り
会うことも諦めなければ
会える日が来るでしょう。
しかし、例え、一生お母さんと
会えなくても
“生きていてくれている“なら
心をあたたかくしてくれるでしょう。
この絵本が
大事なひとを失いかけたときの
一人でその喪失感と戦っている人の
励みになったらと思い紹介しました。
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