【仏像ブーム】諸行無常 「ある」ように見えるものが「ない」自分なくし『マイ仏教』みうらじゅん著

マイ仏教マイ仏教
スポンサーリンク

“マイブーム“という言葉の

生みの親の著者が

小学校4年生の時に訪れた

「仏像ブーム」から

将来の夢は「住職」だったという

現在に至るまで

ずっと続いている

「仏教ブーム」について

一冊の本にまとめています。

僧侶ではない

熱狂的仏教ファンの著者から見た

少し違ったアングルで見た

「仏教」はとても魅力的だったので

紹介します。

仏像ファンから仏教ブームになったきっかけ

著者が仏像がただの装飾品ではないと

知ったきっかけとなった

「出羽三山ミイラ展」で見た

真如海上人という僧侶の

生きながらにして

成仏された姿を見た時でした。

カラカラに乾いた「即身仏」を見て

小学生の著者はショックを受けた

そうです。

仏像に対して単なる“美術品“として

見ていた著者にとって

仏像とは“物“というだけではなく

もっと先にある

信仰の対象であるということが

わかり

怖く感じてしまったということです。

仏像は

単なる形の美しさ、かっこよさだけでは

ないということがわかった瞬間で

仏像ブームから仏教ブームになった

時期でもあったようです。

メインより邪鬼目線で見てしまう

著者は四天王像を見るときに

それに踏みつけられている

「邪鬼」に目が言ってしまうと

言っています。

メインの四天王より

歪んだ顔で踏みつけられて

ポーズをとっている邪鬼の方に

共感が持てたようです。

メインの四天王像にはあまり

手を加えることができないところを

邪鬼にアクションをつけることで

仏師に満足感を与えることが

できたのではないかと

著者は言っています。

邪鬼の“人間らしさ“に惹かれるとも

言っています。

邪鬼は仏法を犯す者で

“煩悩“を示していますが

仏法を護る四天王に何度、

踏みつけられようがしぶとく

生き残る様が邪鬼の像に

表れているということです。

そんなところが著者が

邪鬼の像に親しみが起こる

理由のようです。

シャクソン系スクール?に通う

著者は仏像好きが高じて

仏教系の中高一貫校に通うことに

なります。

キリスト系の学校を“ミッション系“と

いうのに対して

仏教系の学校を“シャクソン(釈尊)系“と

著者は自身の通う学校のことを

そう呼んでいました。

やっぱり、「流行語大賞」を受賞する人は

表現が違いますね。

著者が想像した通り

同級生の三分の一がお寺の息子たち

でしたが

著者のように

仏像にも仏教にも興味がなく

もっぱら

“ヤンキー道“をいかに極めるかに

興味が集中していたようで

当時、ヤンキーと言えば

リーゼントではなくて

パンチパーマだったので

彼らが逃れたかったはずの

お釈迦様と不覚にも

同じ髪型になってしまったことを

著者はどんなにツッパっても

所詮、お釈迦様の手の平の上での

ことだったと

面白く表現しています。

通信空手をやめた理由

優等生でも不良でもなく

“グレーゾーン“だった著者は

どちらでもない“普通“に

コンプレックスを抱きはじめました。

「自分らしさとは何か」

考えていたのでしょう。

そこで当時流行っていた

ブルースリーの

「燃えよドラゴン」のように

空手を習って学園を変えてやろうと

決心して

雑誌に載っていた

「君も強くなれる通信空手」というものに

入会しますが

クラスのいじめられっ子に

その通知を見られ

「通信空手ってやってない奴より弱そう」と

指摘されやめてしまいます。

著者も“非凡“に憧れ、

必死にもがいている姿が

伺えます。

まだまだ、「修行中」だったと

いうことを言いたかったのでしょうか。

自分の寺院の名前は「イマ寺院」

将来、自分が寺の住職になったら

その名前を当時、流行った

ジョン・レノンの「イマジン」に

インスパイアされて

「イマ寺院」にすると決めます。

「イマジン」を聞いた時

仏教の「般若心経」から影響を受けていると

思ったからです。

その歌詞の中で

「天国なんてない、地獄のない、

 国境もない、所有しているものもない」と

歌っているのに対して

般若心経では

是諸法空想

不生不滅

不垢不浄

不増不減

(この世のあらゆる存在は実体を欠いていて

 生きることもなく、

 減することもなく、

 汚れたことも

 浄らかなことも、

 増えることも

 減ることも、ない)と言っている

ところに

「天国も地獄もない」と歌った

「イマジン」が酷似していると

著者は思ったので

自分の寺院を「イマ寺院」にしようと

思ったようですが

著者の他とは違う

感性をこのことからも

感じ取れます。

著者は

仏教とは

「ある」ように見えることが

「ない」ということを語っていると

このことでも気づいていくのです。

ホビー教信者の諸行無常

著者は祖父が集めていたレアな

コレクションを祖父が

亡くなったことで処分しなければ

ならなくなったことで

いつか自分の死んでしまったら

自分のコレクションも

売られたり、流出してしまうのかと

思い

“コレクション“は一時的に自分のところに

あるだけに過ぎないという

「諸行無常」を感じてしまいます。

「ホビー教」と名付けて

「オタク」などのマニアックな物を

集める人を称していましたが

この「ホビー教信者」こそが

物を集める“空しさ“を体験できる者なのだと

著者は言っています。

いわゆる、

「諸行無常」感です。

形があるものはいつか壊れたり

なくなってしまう

そのことがわかりつつも

夢中になって集めてしまう

「ホビー教信者」の性を

「修行」と著者は言っています。

コレクターは好き勝手やってるようで

実は

辛い修行生活をしていると

言えるのです。

しかし、それがなかなか人に

理解されないために

二重の辛苦を背負っていると

著者は言っています。

四門出遊 老い、病気、死以外は捨てられる

「自分らしきもの」「個性」などを

意識していた著者の学生時代でしたが

仏教を知るに至り、

「自分らしさ」があると思うことが

「変われない自分」を生んでいると

気づきます。

お釈迦様が出家したのは、

二十九歳の時で

釈迦王国の王子で生まれたばかりの

子どもや妻をおいて

出家してしまったそうです。

これは究極の「自分なくし」と

著者はグッときたと言っています。

出家の動機を表した

「四門出遊」という故事は

お釈迦様は自分の城を出る時

まず、東門から出ようとしましたが

そこには痩せ細った老人がいたことで

「人は老いる」ということを知った

お釈迦様は意気消沈して

次は、南門から出ようとしましたが

汚物にまみれた病人がいるのを見て

「人は皆、病気になる」と知り

次は、西門から出ようとすると

親しい人が亡くなって悲しみに

くれている人を見て

「人は皆、いつかは死ぬ」ことを知り

最後に北門から出家して行かれたそうです。

そこには出家した穏やかに過ごす

修行僧がおられたそうです。

王国の王子が家族を捨てて

出家することは

とても覚悟がいることだったと

思いますが

自分を変えるために

「自分なくし」をしなければ

ならなかったということです。

老いや病気、死ぬ以外のことは

捨ててしまえるということでしょうか?

まとめます

著者は仏像をこよなく愛する

京都育ちの少年でした。

仏像を見ているうちに

仏教への興味・関心が高まり

今でも、

檀家が離れ寺院が廃れていくのを嘆き

仏教の布教に励まれています。

とにかく、

仏教を“面白く“表現することで

親しみやすさが生まれ、

そこから、経典の理解へと誘うような

本書は

ただ、面白いだけではなく

難しい、仏教用語も理解できるような

仕組みになっています。

著者はこれだけ“個性的“ではありますが

大事なことは

「自分なくし」だと言っています。

自分をなくすことで

他者を受け入れるということです。

人は自分のことを他者に

わかってもらいたがりの

生き物です。

そうやって「自分探し」をしてしまうの

ですが

大抵は、大した者ではないと

気づいていまうのです。

それが嫌で抗うより

「自分なくし」をしている方が

他者にとっても自分にとっても

楽だということです。

著者は仏教を通してそのことを

理解したと言っています。

マイ仏教
スポンサーリンク
スポンサーリンク
inuimieをフォローする
スポンサーリンク
ぽつのブログ

コメント