【感想】②えぐるように冷えたスクルージの心『クリスマス・キャロル』ディケンズ著

クリスマス・キャロルクリスマスキャロル
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第一章では主人公スクルージが

かつての仕事の相棒だったマーレイの幽霊に

これから、三人の幽霊がやってくる

ことを告げられる場面なのですが

その前に著者は

ロンドンのクリスマスの

“寒さ“をいろんな表現で表している。

この“寒さ“もこの物語には

大切な要素だと思うので

紹介します。

あらすじ

イギリスの文豪、

チャールズ・ディケンズの作品。

1843年に発表。

冷徹でケチな主人公スクルージが

クリスマスに訪れた三人の幽霊に

過去、現在、未来の自分の知らない

自分を囲む人々の様子を見せつけられて

改心していくお話。(簡単に言えばね😉)

書記の“想像力のなさ“が寒さの原因?

とにかく、スクルージの事務所は寒い!

スクルージは無駄なことは嫌いなので

最低限の暖房しかしていない。

本人はそれでいいでしょうが

従業員の書記(ボブ、ロバート・クラチット)は

たまったものじゃありません。

スクルージの火はきわめて小さかったが

書記の火はそれよりもなおいっそう

小さくて

まるで

たった一かけらの石炭の火ぐらいにしか

見えなかった。

しかし、石炭箱はスクルージの部屋に

置いてあるので、

つぎ足すことができない。

(中略)

(解雇される)その恐ろしさに、書記は

白い襟巻をぐいと首に巻きつけ、

ろうそくの焔(ほのお)で暖まろうとも

してみるのだが、

元来が

想像力のない男に生れついているので

こんな試みは一向に役に立たなかった。

この“想像力のない男“と言う表現に

大笑いしてしまいました。

アンデルセン作の『マッチ売りの少女』だったら

ろうそくの焔でも暖は取れたのかも

しれませんね。

*『マッチ売り少女』は1846年に初出してるので

(ウィキペディアより)微妙に本書の方が

先に出てるので著者はこの作品を想定して

  この部分を書いてないよね😆

想像で“暖“をとるのはそもそも無理でしょう。

ボブのせいではないですよね。

聖ダンスタンの武器を“寒さ“にする?

聖ダンスタンとは修道院の大司教で

悪魔の鼻を焼けたハサミでつまんで

退治したとイギリスでは言われて

います。

霧はいよいよ深く、

寒気はますますつのる。

刺すような、えぐるような、

噛みつくような寒さだ。

もしあの善良な聖ダンスタンが

例の武器の代わりにこのような

寒気で悪魔の鼻をつまんだとしたら

さすがの悪魔も大声あげてわめく

ことでしょう。

どれだけ、寒いクリスマスなのでしょうか…

“刺す“はよく使われるように

思いますが

“えぐるような“ “噛みつくような“は

ひどい寒さと言うより

‘切なさ“を感じる表現でしょう。

また、後の章でスクルージが

後悔する対象となる者達の

様子として

あるかないかの低い鼻の持主が

犬にかじられた骨のように、

飢えと寒さに噛まれ、しゃぶられながら

身をかがめて、スクルージの店の

鍵穴をのぞき、クリスマスの歌で

大いに喜ばせようとしたが…

この“あるかないかの鼻“の持主の

描写としてやはり飢えや寒さに噛まれ

しゃぶられてと表されています。

寒さに“震えて“や“凍えて“では

表現が緩いのでしょう。

この悲惨さをここでしっかり読者に

伝えることが

後の章でのスクルージが自分の愚かさに

気づくことを強調するために

大切だと考えたのかも

しれません。

まとめます

ロンドンのクリスマス?(と思う)の

寒さがいかに悲惨で切ないものかを

表現することで

主人公の心がどれほど冷え切って

その感覚が麻痺してしまっているか

これから、その寒くて凍えた心が

いかに暖められていくかを

知るための始まりの“寒さ“なのです。

そういう意味では

笑ってられない

重要な設定と表現なのでしょう。

クリスマスキャロル
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