初めは仏教=葬式ではなかった『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』島田裕巳著

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか
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最近では、パワースポットなどが

注目を浴び出してから

仏教や寺院に興味を持つ人が

増えてきました。

しかし、

「葬式」を出さなければならなくなった時

「自分の宗派ってなんだっけ?」と

親や祖父母に慌てて

確認しなければならない人も

多いようです。

著者は同じように見える日本の仏教も

宗派によっては雰囲気が違うと

言っています。

いかにも“お坊様“という感じのする

現在の“お葬式“の原型を示した

「禅宗」についてわかりやすく

書かれてある部分を紹介します。

宗派によって違う雰囲気

宗派としての性格が際立っているのは

「浄土真宗」で、僧侶と門徒と呼ばれる

俗信徒の距離が近いため

門徒(信者)は僧侶を奉るようなことは

しません。

著者が講師として訪れ、

門徒の前に立とうが遠慮なく

辛辣な批判を

受けることがあるということです。

それと対比にて、「曹洞宗」という

宗派は僧侶は剃髪し、黒染めの衣を

身にまとっています。

見た目も“お坊様“という感じを

醸し出しているのです。

このような“お坊様“には中身がどうであれ

畏怖の念を抱かずにはいられない

でしょう。

私たちはこの「曹洞宗」の僧侶を見て

“お坊様“と言っているのかもしれません。

曹洞宗は臨済宗とともに禅系の

教団です。

“禅“とは「カーーツッ!」みたいな

座禅を組んでいたら後ろから

しばかれてしまうような

イメージ厳しい感じですが

それは福井の永平寺という本部での修行の

厳しさからきているようです。

曹洞宗の宗祖である道元が開いた

禅の道場では

座禅による悟りを目指しています。

永平寺では座禅だけでなく

生活全体に修行としての意味が

与えられています。

食事を取ること、お風呂に入ること

トイレを使うことも

禅の修行僧である“雲水“にとっては

修行になるのです。

このような“雲水“の生活はテレビ番組で

紹介され、

外国にも関心が寄せられています。

2002年のTBS系列の昼ドラに

「ピュア・ラブ」というのが

あったのですが

この“雲水“がドナーになった

白血病の小学校の教師との

ラブロマンスに当時、

奥様方の間では沸いていたものです。

この“雲水“の純粋さ“が視聴者の

女性を釘付けにしたのです。

このドラマは他の宗派ではない

禅宗の

ストイックさが良い形で描かれて

いましたが

このように修行が厳しいというのは

悪い方面から見れば

暴力もありという修行でもあるようです。

実際、永平寺で修行をして

のちに出家した僧侶が暴露しています。

煩悩を打つ砕くために

暴力を正当化していることもあります。

戦時中の日本軍において暴力が

横行していたのも

禅寺からきているのではと

囁かれています。

しかし、それほど厳しい修行に打ち込む

宗派としてのあり方に矛盾しているのが

今日の「葬式仏教」の原型を作ったのは

この「曹洞宗」であるということです。

他の宗派は

この「曹洞宗」の仏式の葬儀の方法に

習って、編み出していったのです。

そのことも関連して

信徒や(曹洞宗)の寺院の数が

各宗派の中で一番多いとされています。

本書の表題からすれば、

いちばん多いのは

「浄土真宗」なんじゃないかと思って

しまっていましたが

浄土真宗は会派が分かれているので

それでいうと

最も多いのは「曹洞宗」ということに

なります。

その寺院の数は

コンビニセブンイレブン店舗数を

凌ぐほどの数1万5000人弱となり

2011年本書で書かれた当時では

セブンイレブンが1万3000店舗ほど

(2021年現在は2万店舗に拡大されている)

だったので

コンビニ大手よりも多い

寺院数だったと言えるのです。

著者はこれほど、純粋禅を追求し

生活の全てを修行としている

システムを築き上げた宗派が

なぜ、葬式仏教の生みの親になり

しかも、これほど大きな教団になったのか

疑問だと言っています。

そこで「曹洞宗」の

本質を明らかにすれば

その秘密がわかるはずだと

思ったようです。

「曹洞宗」を日本に持ち込んだのは

聞いたことがある道元という僧侶ですが

道元は純粋に修行することだけを

考えていたようですが

それだけでは、

楽でもない修行を伴うこの宗派が

生き残るのは

難しかったのです。

そこで、道元の死後

その弟子たちが頑張ります。

その中でも紹瑾が経済基盤を含めた

禅の道場の運営を成り立たせるために

ただ、

純粋に禅の道を極めるのではなく

加持祈祷などの密教なども取り入れ

神祇(天の神、地の神)に対する

祭祀(神々や祖先をまつる)ことも

取り入れました。

それは現世利益

(信仰することによって

 この世で欲望が満たされる)を求める

武家などに信仰を広めるためでした。

道元の教えに付け足す形で

道元が個々の修行僧のために修行を

説いたのに対して

集団での修行がうまくいくための

システムを示して

宗派が全国各地に広まるように

していきました。

(フランチャイズ的な?)

紹瑾はさらに中国の『禅苑清規』

(修行を行う雲水の生活規範)を

参考に

悟りを開いて亡くなった人に対して

「尊宿葬儀法」

まだ、

雲水の段階で亡くなったもののための

「亡僧葬儀法」という2つの葬儀の

示されており

その雲水の葬式に倣って、

現在の“お葬式“の原型を

作ったとされています。

しかし、これは元々“雲水“の葬式なので

剃髪して出家したことにして

その上で戒律を授けて、

さらに戒名を授かる部分があるが

それはつまり、それを模すために

死者を一旦僧侶にしてしまうという

ことなのです。

これは伝統から言えば外れたことですが

この方法を定着させます。

そして、なんとこれが「曹洞宗」以外の

宗派にも伝わっていくのです。

今でこそ、葬式=仏教という感じでは

ありますが

日本の仏教は当初は葬儀とは

全く関係を持っていませんでした。

死の領域に関わっていくのは

浄土真宗の普及も大きいが

「曹洞宗」で編み出した葬式の方法、

故人の供養という領域に進出したことが

大きいようです。

「曹洞宗」が全国的に伸びていくのも

葬儀、法要という、

それまでは

仏教が積極的に扱ってこなかった

領域を開拓していったからと

言えるようです。

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