戒名を見れば宗派がわかる?『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』島田裕巳著

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか
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地方から都会に出てしまうと

自分は何を信仰しているのか

どんな宗派だったかなどの

関心が薄れているのですが

いざ、

親や親戚の葬儀を

しなけけばいけない段になって

途端に「うちは何宗派だったっけ?」と

なったりするとよく聞きます。

しかし、本書を読むと

葬儀の形式などに

それぞれ意味があり

強く宗派を意識する場面があると

思わされるところがあったので

紹介します。

宗派によって違う葬式

現在の仏教式の葬式の基本は

曹洞宗が行っていた

修行の途中で亡くなってしまった

雲水(修行している僧)を

弔うための「亡僧葬儀法」が

一般の在家信徒の葬式にも応用された

ものであることは

本書の別の章で説明されていたのですが

仏教が伝来した古墳時代の末期には

一般の人を弔うための

仏式での葬式のようなものがなく

鎌倉時代以降からのことだったのは

少し驚きでした。

それは仏教=葬式ではなく

当初は仏教が必ずしも死と関係があった

わけではなかったからです。

あくまで、仏教の教えは

“生きている人“の生活規範を示したもので

あったのです。

浄土信仰が一般の人に普及し始めてから

“浄土“(死後の世界)の存在を信じ

人々は死後の極楽浄土を願い

死後の平安も祈るようになってから

葬式や法要の考えが一般の人にも

適応していったのです。

これらは各宗派が生き残りをかけた

経済的活動でもあったのです。

このように

葬式も高僧や修行僧のものだけではなく

一般化していったのです

なぜ死者を出家させる?

曹洞宗(禅宗)を広めた紹瑾が

影響を受けた

中国の『禅苑清規』に記されている

僧侶の葬式、「尊宿葬儀法」と

修行僧の葬式、「亡僧葬式法」と言った

「僧侶のお葬式」を曹洞宗(禅宗)では

行っていましたが

後者の修行僧の葬式の方を

一般の人に採用するにあたり

これら一般の人を修行僧のように

形式だけ“出家“し、

僧侶になってもらうことに

よって

経典通りの“葬式“を行ったことにできると

考え、

僧侶のように剃髪をする真似を死者に行い

その上で戒律(生活を戒めるような教え)を

授けて

修行した僧侶のように戒名を与える

ことにしているということです。

現在の

私たちのせかせかした生活からすると

まどろっこしいようですが

このまどろこしさと仰々しさが

人々に心の安らぎを与え

宗派にとっては繁栄に繋がること

だったのです。

戒名を授かると仏教徒になった証に

なるのは

このようなことからなのですが

これはどの宗派においても行われている

ということに

宗派を超えて「禅宗」の葬式法を参考に

各宗派は葬式を行っていて

宗派それぞれの教えに基づいて

葬式はされているわけではない

と著者は言っています。

確かにどの宗派で葬式をしたとしても

戒名は授かっているようです。

出家しなくても良い宗派もある

“出家“も形式だけなので

家族も本人(もちろんだけど)も

出家したいることを

意識することはありません。

そのことについては

曹洞宗(禅宗)の形式を取らない

葬式をする宗派は存在すると

著者は言っています。

それは浄土真宗と日蓮宗です。

この二つの宗派の共通点は

在家仏教の傾向が強いということです。

禅宗は僧侶と信徒との間に

しっかり区別があるのに対して

浄土真宗や日蓮宗は根本的に区別がなく

僧侶は出家しているのではなく

普通の生活人(俗人)のように

結婚したり子供をもうけたりし

家庭生活を営んでいるので

死者を“出家“させるというやり方を

取らないというのです。

戒名で宗派がわかる?

戒名に関しても浄土真宗はそれを

「法名」と呼び

必ず「法名」の中に

“釋“(しゃく)という字を含ませます。

日蓮宗は“日“の字を必ず含めるという

特徴を持っています。

これらは宗派独自の性格が現れたものと

言えるのです。

なので、

他の天台宗、真言宗、曹洞宗、臨済宗では

戒名の基本的な形式が共通しているので

戒名を見ただけでは

どの宗派のものか区別がつかないと

いうことにもなりまます。

これは、戒名が宗派の教えに

基づいていないことを表していると

著者は言っています。

階層によってお気に入りの宗派がある

浄土宗は「五重相伝」という

特別な法会に参加すれば信徒に

生前に戒名を授け、

その中に「譽」の字を含めて

格差をつけており

有力な檀家にい対しては

「五重相伝」を受けなくても誉号を与える

傾向にあると著者は本書で

書いています。

浄土宗のこのような制度は

江戸時代において徳川家康が

浄土宗に帰依したことが大きいようで

ちなみに、

徳川家康の戒名は

「東照大権現安国院殿徳蓮社祟譽道和大居士」

というもので

その中に確かに“譽“が入っています。

こうした歴史が反映して

浄土宗寺院の檀家には

現代も政治家などの

有力者が多いとされています。

一方で作家や芸能人などは

“日“を含む戒名が多い傾向にあると

著者は示しています。

例えば、

芥川龍之介の戒名は

「懿文院龍之介日祟居士」

ジャイアント馬場は

「顕峰院法正日剛大居士」

のように“日“が戒名に含まれている。

これは

日蓮宗が芸術家に親しまれていたことが

現代にも受け継がれています。

このように

葬式は同じようで実は

少しずつその宗派の性格が出ている

こともあります。

もちろん、宗派と社会的な階層が

完全に一致しているわけではなく

また、地域の広がりも複雑で

特定の地域を

指摘することもできないのですが

このような傾向があると思うと

宗教や歴史に関心が薄かった

私にとって

歴史を感じさせ、

弔いの意味を改め知るきっかけに

となりました。

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