カニバリズム 行き過ぎたストーカー『悩む力』姜尚中著

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幸せ=愛とはもう思わない年齢ですが

「愛とは、結局エゴイズムである」と

言われれば

それには納得してしまいます。

そして、

それが特にエスカレートして

相手の迷惑を顧みず、自分の思いだけで

突き進んでいく

俗にいう

「ストーカー」になってしまうことが

あります。

このストーカーと「熱烈な片想い」には

どんな違いがあるのでしょう。

「熱烈な片想い」とストーカーの違い

相手をすごく愛しているのに

ストーカー呼ばわりされ

犯罪者扱いを受けるのは心外だと

憤慨する人もいるかと思いますが

やはり、それをよしとするわけには

いかないと著者は本書で言っています。

相手を食べてしまう行為(カニバリズム)

“カニバリズム“は人肉を食べる行為を

言いますが

ここでは、相手を一方的に

熱愛した場合、相手を自分の中に

取り込んで、

一つに融合させたくなる心情的な

意味で使われ、この意味で

エゴイズム的愛の極致は

「相手を消滅させる」ことがある

ということを

著者は指摘しています。

古典文学でよくあるパターンの

「心中」にも少し通じるところが

あるようです。

この場合、相手を殺して

自分も死ぬのですが

それでも愛する人を消滅させる

ことに変わりはないのです。

愛ゆえに相手を殺す動物

人間は唯一「考える動物」です。

衝動的に性欲をもよおすことを

「獣になる」と言いますが

それは比喩に過ぎず

この地球上に「種の保存」以外の

目的でセックスする動物は

人間以外にいませんし

愛するゆえに相手を殺す動物も

いません。

なぜ、相手を消滅させたくなるのか

「人の心は刻々とうつろう」という

ことです。

愛が冷めるのを恐れ、

相手を最高に愛している時に

消滅させてしまいたい

または、相互に愛情が

最高に高まっている時に

終わらせたいという気持ちに

なるからではないかと

著者は本書で言っています。

愛とは形がないもの

愛のあり方は刻々と変わり

その“形“もないものです。

「愛が冷めてしまった」

「昔のように愛せなくなった」など

よく聞きますが

誰もが「これこそが愛が」という

ものを可視的に取り出すことが

できない限り

そのような愛の喪失感も

本当にそうなのが疑わしいもの

なのではないでしょうか。

「性」という取り出し可能な愛の形?

「愛」という漠然としたものの中で

唯一取り出し可能なのが「性」と

言えるのかもしれません。

愛を掴みかねている時に

性に頼ることもあるでしょう。

しかし、実際、現在の人で

男女の愛を確かめ合う

“厳かな儀式“といてセックスがあり

それが成就された時の恍惚感を

額面どおりに「愛」と受け取るほど

素直な人はあまりいないのが

現実です。

愛とは「絶えざるパフォーマンスの所産」

愛とは、どちらかが何かの

働きかけをし、

相手がそれに応じようとする限り

その時その時で愛は成立していると

著者は言っています。

相手に応えようとする意欲が

愛に続いているということです。

まとめます

熱烈な愛情は行き過ぎるうと

相手を自分の中に融合させたい

または、

自分の手で相手を消滅させたい

「カンバリズム」的な心境に陥ってしまう。

著者のいう愛とは

「絶えざるパフォーマンスの所産」であり

どちらかが何かの働きかけをし

相手がそれに応じようとする限り、

それが愛の成立であり

その意欲自体が「愛」なのです。

相手を自分の中に取り込んだり

消滅させるようなエゴイズム的な

感情は強烈であっても「愛」とは

言えないというのが

著者の考えのようです。

「愛」に“絶頂“や“聖地“はないのです。

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