宗教は「制度」である『悩む力』姜尚中著

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現在の私たちは

宗教を持つ持たないも

自分の生まれてきた家庭に

したがって信仰を選ぶことも

しなくて良いという

「自由」を謳歌している状態で

これを「幸せ」というと

思っていましたが

本書を読んで

それは必ずしもそうでないという

紹介しています。

宗教は個人ではなく団体のものだった

近代以前からヨーロッパでも

アジアでも「宗教」というものが

厳然と存在し

人は死ねば葬式をやるし

お盆やお彼岸には墓参りも

します。

そういう宗教は今もありますが

かつての宗教は

こんなものではありませんでした。

人々の人生と一体化している

信仰を意味する「レリージョン」の語源は

ラテン語の「レリジオ」で

制度化された宗教という

ニュアンスがありました。

つまり、

宗教というのは

「個人が信じるもの」ではなく

「個人が属している

 共同体が信じているもの」

だったのです。

その共同体の中で暮らしていると

それが自分の生き方になるので

そこに生きている人にとって

生き方について

考える必要もなく、

疑問の余地もない説得力を持っています。

ゆえに

「自分は何を信じたらいいのか?」

という問いは生まれてきません。

どうして幸せなのか

人生の中で遭遇する出来事に対して

いちいち疑問を感じたり

自分で意味を探し出したりする

ことはなかなか答えが出ないし

いくら考えても考え尽くせつものでは

ないのに考えてします。

そんな必要はない共同体の宗教の

中の生活なら

このような考えもおこりません。

私はなぜ不幸なのか、

なぜ、病気なのか、

なぜ、人を敬和なければダメなのか

などの答えを自分の周りの世界が

あらかじめ答えを用意してくれて

いるのです。

このことは“幸せ“といっても

いいのではないでしょうか。

まとめます

かつての人々が

「私の人生はいったい何だったのか」

という飢餓感をあまり

感じることもなく

「何か美味しいものが食べたい」

程度で満足感のうちに

一生を終えてしまっても

焦燥感などは起こしません。

今の私たちにとって

「当時の人は自由が縛られていて

 不幸だった」

とよくいっていますが

自由を謳歌できることは

昔のそれに比べて幸福である

という考え方は

間違っているかも知れません。

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