毒のないアーモンドができた理由『銃・病原菌・鉄 上』ジャレド・ダイアモンド著

銃・・病原菌・鉄銃と病原菌と鉄
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今日では、「遺伝子組み換え」などの

技術によって

味や大きさや量産性や低コストなど

人類にとって有益なように

品種改良されるのは

当たり前のようにされていますが

紀元前8000年ごろから

野生のアーモンドがギリシャの遺跡から

出土するようになり

紀元前1325年にツタンカーメン王が

死んだ時に、

一緒に埋葬されていることから

食用に

栽培化がされていたようなのですが

紀元前1万年ごろの

原始人たちはどのように

毒のあるアーモンドからどのようにして

食べられるアーモンドを

栽培したのでしょうか。

本書でそのことに触れているところを

紹介します。

人類による植物の栽培化の過程

人類がもとになる野生の植物を育て、

意識的にあるいは知らず知らずのうちに

遺伝子を変化させて

自分たちの利用しやすいものに

してきたという

継続的な行為の積み重ねがあります。

野生種はそのままだと

食べ物として不味かったり

毒があったりと初めて食べる人は

それなりの覚悟をもって?

食べなければいけなかったでしょう。

排泄場は栽培実験場

人類が農耕をはじめたのは

一万年以上も前のことです。

当時、求める結果を出すために

分子遺伝学の技術を使ったはずもなく

そうしなけけばならないということを

自覚もしていませんでした。

それなのにどうして

美味しいご馳走を味わえるように

なったのでしょうか?

植物の立場からしてもれば

子孫を残していくために

生息地を広げなくてはいけないのですが

動物のようの歩いたり、

飛んだりできない多くの植物は

動物に種子をヒッチハイクして

もらって子孫を分布させようとします。

(種類によっては風や水に運んでもらう)

種子を美味しい果肉で包み

香りや色で誘って体内に取り込ませ

消化できない種子を発芽しやすい

状態で排泄させて

そこで芽を出し成育していきます。

植物にとって人間の

自分たちを運んでくれる動物の一種

なので

排泄場に植物が芽吹いても

おかしなことではないのです。

(でも、食べ物が排泄場でできるって…)

しかし、これはまだ

「植物の栽培化」とは言えません。

なぜなら、この時人間は

その種子を意図的に育てる

意識など持たずに撒き散らして

いただけで

植物の自然淘汰に手を貸していた

だけなのです。

最初に植物を植えようとした人に

とっては

この排泄場は栽培実験場として

知らず知らず使っていたかも知れません。

何千年もかけて品種改良される

初期の農民たちは

排泄場以外にも野生植物の種子を

知らず知らずのうちに

落としたり撒き散らしたり

していました。

持ち帰った植物の実を腐らせ

捨ててしまったゴミ捨て場から

芽が出たり

実を食べて大きな種は吐き出して

捨てたその場所から芽が出たりと

あちらこちらで「実験」が

行われていました。

そういう場所で芽ぶいた多くの植物は

ある特性を持っていました。

それは人間によって「目利き」された

植物だということです。

色や形、匂い、味など

初期の農民たちが多くの果実から

これが良さそうだと

収穫したものが芽吹いていると

いうことです。

これが初めの選別や改良の始まり

なのです。

私たちがいちご狩りに行っても

手当たり次第摘むのではなく

良さそうな場所で採取したり

大きいものを

選んだりしているのは

人は無意識のうちに遺伝学的に

一番見込みのあるものを

判断していると

本書では書かれています。

こうやって植えてできたものの

中で一番大きいものや

良いものの種子を植えて

それが育つと

また、その中で一番良いものの

種子を植えてを繰り返し

何千年かそれを続けて

最も魅力的な個体ができあがって

いったのです。

野生のリンゴは2.5㎝と小さいものに

対して

今日売られているものは7.5㎝はあります。

味の野生種の多くはにがく

味も悪く、有毒なものもあるのです。

それは種子が自然淘汰されないように

果肉は美味しく、種子は不味し

食べられるのを防いで

発芽のチャンスを守っていました。

毒のあるアーモンドの栽培化

野生種の種子は味が苦いのに

栽培種の種子はにがくない

植物の例として

あの青酸カリのもととなる

アーモンドの種子は野生種のほどんどに

苦い成分アミグダリンと呼ばれる

シアン系毒物に分解する性質が

あります。

ドラマで「アーモンド臭がする」と

毒殺された場合に

よくいっているのを聞いたことが

あるのは私だけ?でしょうか。

では、どのような経過を辿って

栽培化したのでしょうか?

それはたまたま起こった

「突然変異」によるものだと

本書では書かれています。

この変種はアミグダリンの生成を

阻害数るう働きがあるもので

こうゆう種子は

鳥が目ざとく見つけて

食べてしまうので

野生では子孫を残せないのです。

ところが初期の農民の子供などが

お腹が空かし、好奇心もあり

野生のアーモンドの実をじっと

見ているうちに

苦くない実がなっている木を

発見することができたと

想像されています。

こうしてたまたま見つかった

苦くないアーモンドの木の実だけが

採集されるようになり

ゴミ箱から芽吹いて果樹園に

なったのだと考えられています。

まとめます

今ではテクノロジーの進歩で

品種改良も多岐に渡りされるようの

なりましたが

初期の農民たちは命がけで

植物を改良し栽培していたのが

わかりました。

未知なものを口にして

生き残ったものだけが

排泄することができて

そのお陰で子孫たちは

生きながられられる。

生き物はその種を守るため

自然淘汰されないように

集団で戦っているのです。

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