「そうでなくても」が人生では必要『think clearly』ロルフ・ドベリ著

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あなたはどうしても譲れないこと、

いわば「主義」のようなものを

持っているだろうか?

人生においてこの「ポリシー」とも

言い換えることができるものを

もつということが

他人の理屈に流されないで

暮らしていける術であると

本書では語られています。

「そうでなくとも」が示す意味

これは、旧約聖書に代表される伝説で

バビロニアの王ネブカドネツァルは

三人の敬虔なユダヤ人に言いました。

………わたしの立てた金の像を

拝むつもりでいるなら、それでよい。

もしも拝まないのなら、

直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる

………」

『聖書 新共同訳』ダニエル書3章15節

わたしに従わないなら、殺すと

言っているようなものでしょうか?

するとこの信心深い三人はこう

答えます。

「この定めに対して、お答えする必要は

 ございません。

 わたしたちのお仕えする神は

 その燃え盛る炉や王様の手から

 わたしたちを救うことができますし、

必ず救ってくださいます。

 そうでなくても

 ご承知ください。

 わたしたちは王様の神々に

仕えることも、お建てになった

金の像を拝むことも

 決していたしません。

『聖書 新共同訳』ダニエル書3章16・17節

この三人は死んでも自分が信じる

神にしか、仕えるないという

意思表示をしたので

それになぞって

第二次世界大戦時、ドイツに攻められ

ピンチになった前線のイギリス軍は

イギリスの軍上層部に

「ここダンケルクの状況は

 暗澹たるものです。

 奇跡でも起きないかぎり、

 ここから脱出するのは不可能

 でしょう。

 けれどもわたしたちは

 何があろうと降参しないと

 決めています。」という内容を

そうでなくても」という

短い電報で伝えているのです。

例え、神が助けてくれなくても…

「そうでなくても」という言葉で

表しているのです。

“聖書“に

日常的に親しんでいた時代では

この「そうでなくても」で十分

その人のプライドを伝えることが

できていたのです。

どんな事情があっても妥協できないとは?

そのことを踏まえて

どうしても譲れないものが

持つことは

生きていく上でとても心強いことです。

著者は自分は高額報酬の仕事より

自分の考えに合う仕事を選ぶと

言っています。

こんな事情があろうと妥協できない、

個人的な優先事項や主義の

明確な領域を

著者は

「尊敬の輪」と読んでいます。

これを持つことが良い人生には

不可欠だと著者は言っています。

「尊敬の輪」の作りあげ方

「尊敬の輪」は年齢を重ねるにつれて

次第にはっきりとしてきます。

多くの人は人生半ば頃で

この「輪」が見え始めたたら

人間的な成熟に大きく近づいた証

なのです。

形成にはある程度の人生経験が必要

これは一言で言えば

マイナスの経験が必要だと

著者は言っています。

例えば、間違った決断や、

失望や失敗や危機を乗り越え

どの主義主張を輪のなかに

取り入れ

どれを諦めるか、

熟考しなければなりません。

大変ではありますが

できなければ

周りの人間の巧みな理屈に

ふり回され続ける人生になって

しまうと著者は

語っています。

「尊敬の輪」は小さい方がいい

「尊敬の輪」が小さいままに

しておきます。

小さい方が大きい方より頑強だと

著者は言っています。

小さい方が矛盾が生じにくいと

いうことと

限定的にする方が

それを守りやすいからなのです。

信念を貫くことは他者を失望させること

「尊敬の輪」が確立してくると

時に人を蔑ろにしたり、

他者から失望されたりすることが

あります。

この“信念を貫く“ということは

筋道の立った理論が通用しないもの

なので

他者との摩擦が生じることは

多くなります。

しかし、この摩擦を恐れて

他者の理論・主義に

「尊敬の輪」が脅かされいては

人生の基盤を失ってしまうのです。

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