【思い出】「ピーク・エンドの法則」と「持続の軽視」『think clearly』ロルフ・ドベリ著

Think clearlyThink clearly
スポンサーリンク

旅行中はあんなに

トラブルに見舞われて、

危ない目に遭ったり

一緒に行った友達と喧嘩もしたり

したのに、

後で旅行の思い出を振り返った時

「あんな、楽しい旅行はなかったなあ」と

言ってしまう。

旅行の最中は苦痛でしかなかったのに…

このような経験はないでしょうか?

恋愛においても、

その最中は

相手が思うようにならず

しんどくて、

涙にくれていたのに

数年経ったら、

ほほえましく

笑いながら人に話していたり…

これには、記憶の書き換えが

起こっていると著者は本書で

説明しています。

いったい、どういうことでしょう。

ダニエル・カーネマン「ピーク・エンド」の法則

これは、ノーベル賞を受賞した

心理学者のダニエル・カーネマンが

名付けた法則です。

「現在」と感じる長さは「約3秒」

これは著者が言っている

「体験している私」のことで

その瞬間に起きていることを

体験している“意識の部分“で

ここで言う、「3秒」を

いっぱい連ねた状態ということです。

この考えでいくと

睡眠時間を除いて、一日あたり

約二万の「瞬間」を体験し

平均寿命まで生きたとして

一生のうちには約三億の「瞬間」を

体験することになります。

これは「体験している私」と

いうことになります。

「思い出している私」

では、「あなたは幸せですか?」と

聞かれた時、どのように答えますか?

過去を振り返りますが、

「24時間10分3秒」前に自分が何を

していたかちゃんと

正確に言えるでしょうか?

問われているのはもちろん

「体験した」ことを答えなくては

ならないのですが

例えば、24時間10分3秒前に

食べたチョコレートがすごく

美味しかったからと言って

そのことを答えたとしても

“あなたは幸せですか?“の

答えとしては

満足してもらえないでしょう。

著者はこの質問に答えるのは、

「思い出している私」だと

言っています。

実際、この「3秒」の積み重ねは

忘れ去られていることが多く

この質問に答えるために

「体験している私」が捨てなかった

ほんのわずかな記憶を集め、

評価し、整理する意識の部分なのです。

この“二人の私“は滅多に意見が

一致しないのです。

記憶に残る「ピーク」と「終わり」

どのくらい違うのか

著者が例を挙げています。

学生たちに

・14℃の冷たい水に1分間手をつけたまま

 にするという不快な体験をしてもらう。

・次に14℃の水に一分間手をつけた後、

 今度は続けて30秒間、

 15℃の水に手をつけてもらう。

この後すぐに学生たちに、

「もう一回同じ体験をするなら

 どちかがいいか?」と尋ねたところ

80%の学生が後者を選んだのです。

普通だったら、苦痛が長い後者は

避けるものだと思うのですが

これは、何かを経験した時、

主に私たちの記憶に残るのは

その出来事の一番印象深い「ピーク」と

その「終わり」の部分だけだと

いうことなのです。

それ以外は記憶に残らず、

前述の学生たちの例で言えば

水に手を入れる「ピーク」はどちらも

同じで、

「終わり」は14℃と15℃で違いがあり

少し快適な15℃の方が良い印象で

終わっているのです。

「体験している私」はニ度目の方が

不快な思いをしているのに

脳は二度目の方を

快適だったと記憶してしまうからだと

説明しています。

記憶に影響を及ばす「持続の軽視」

体験する出来事の「長さ」は

脳の認識に影響を与えないため

「長さ」では

この「記憶の違い」が修正されないと

いうことです。

実験の長さが60秒間でも

90秒間でも、学生たちの答えは

変わらないのは

この「持続の軽視」による時間の誤認の

ためだと本書では説明しています。

出来事の記憶には

時間の長さは意味を持たないという

ことなのです。

これは「ピーク・エンドの法則」に

次いで

記憶に大きな影響を及ぼす

脳の勘違いなのです。

バンジージャンプに魅せられる理由

「体験している私」はほとんど記憶を

捨ててしまい無駄使いが多いし

「思い出している私」には

勘違いが多いため

私たちは間違った判断を下しやすいし

「短期間」に得られた喜びを

過大評価したり

「長期」にわたって過ごした

穏やかで静かな喜びを

過小評価しがちになってしまします。

「長時間のハイキング」よりも

「バンジージャンプ」の方が

「パートナーとの定期的な営み」よりも

「ゾクゾクする一夜限りの関係」の方が

「良書」より

「ユーチューブの動画」の方が

得られる喜ぶが大きいと

思ってしまう。

素足で走ってアメリカを横断したり

記録的な速さでエベレストに登頂したり

するのが良い体験で幸せと感じるのは

後から振り返った時だけなのです。

それらを実行している「瞬間」は

ただの苦行でしかないのは

誰でもわかることです。

これは

「体験している私」より

「思い出している私」の方を

優先しているだと著者は

言っています。

本当に充実した人生を送ったと

言えるのはこの「瞬間」に

目を向けれるかどうかなのです。

まとめます

苦行でしかなかったはずの

経験が美談となり

語られることはよくあります。

それは本人がよく見られたくて

わざと言っているのではなく

「思い出して」語っている私は

ほどんど事実は忘れてしまっていて

無意識に

自分の印象の深かった「瞬間」を

切り貼りしたり

装飾を付け足して

幸せエピソードにしてしまっている

のです。

Think clearly
スポンサーリンク
スポンサーリンク
inuimieをフォローする
スポンサーリンク
ぽつのブログ

コメント