心配事に囚われてしまう『人生の手引き書』渡部昇一著

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テストに合格しているだろうが

検査の結果はどうなのか

明日、雨が降ったらどうしょう…

日常レベルのことでも

“心配ごと“はつきません。

実際、起こってしまったと

頭の中でシュミレーションしてみて

感傷に浸ったり、ドキドキしたり

自分ではもうどうすることも

できないことを考えてしまう。

本書ではこれは考えているのでは

ないと言ってします。

「心配ごと」は「考えごと」ではない

人生で心配したことの80%は

起こらないと本書では書いてありますが

心配し始めると起こる確率の方が

多いように思います。

それに、抗うように大丈夫である

根拠を必死に探そうとして

くたくたになります。

自分で防げないものなので

心配するのであってそもそも

心配しても仕方がないことなのです。

本書では心配事は残り20%しか

起こらないので

心配事が現実になっても

それはその時だと構えていたら

良く

不思議なことに、そういう前向きな

気持ちでいると、残りの20%も

大抵現実にならずに済むと

記しています。

「心配する」ということは

頭で考えているようで

実は心配は考えているのでは

ないと著者は本書で言っています。

考えるのは闇雲に心配することでは

なく

直面している問題について

建設的な考えを積み重ねることで

未来のやるべきことを

編み出すことなのです。

心配事が現実に起こったとしても

それで終わりではなく

次のステップへ進んいくには

どうすれば良いか思い描くのが

考えるということなのです。

闇雲な心配は下手な碁と同じ

著者は人生とは碁のようだと言って

います。

碁では、下手に打てば大きな石が

すべて死ぬという場合がある。

反対に、打ち方さえうまければ

つまらない石まですべて生きてくる。

「人生の手引き書」渡部昇一著

これを人生に置き換えて

とてつもなく大きく

目数の多い基盤で碁を打っている

ようなもので

人生の良し悪しは、常にこれから

打つ石によって

人生で言えばその先の一歩の

踏み出し方で決まるという

ことです。

どんなに辛くても

その問題に具体的に建設的に

心配するのではなく

考えることで前に進む道筋は

見えてくるものです。

これらの心配事が起こってしまっても

それが今どれだけ無駄なことに

思えても

考え方次第で

これから生きていくための

“糧“とする事ができるのです。

このようなことから

「闇雲に心配することは

 下手な碁を打つに等しい」と

著者が本書で書いている

所以なのでしょう。

この一見下手のそうな“一手“が

将来の布石になるかは

この時の考え方と行動に

かかっています。

ただ「どうしよう」と心配しているのは

全く無駄であるとしか

言いようがないのです。

まとめます

心配してまだ、起こるかわからない

ことを少し誇大してシュミレーション

してしまう私ですが

それはその事象が起こってしまった時

なるだけ、動揺したくないという

“防衛反応“というものかも

しれません。

しかし、これはイタズラに心配する

だけで精神の消耗以外の

何ものでもありません。

それよりもその事象が起ころうが

起こらまいが

やることは同じだということに

気づき

人生の碁を打っていかないと

いけないのです。

その今から打つ一手で

人生を好転させる事が

できるからです。

人生の手引き書
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