②何が人を不幸にするのか『幸福論』ラッセン著

ラッセン幸福論 ラッセン
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例え、謙虚であっても実力があり

権力を持ち合わしても

それが長期にわたる幸福を招くとは

限らない。

度を越した謙虚さや虚栄心、権力欲が

人を不幸にする要因だと

本書では

自己没頭の種類

罪の意識に取り憑かれた人「罪びと」

実際罪を犯したわけではないのですが

絶えずわれとわが身に非難を

浴びせている人を言っているの

ですが

それらの人は“自分はかくあるべき“と

いう理想像を抱いている。

その理想像はあるがままの自分の姿と

絶えず衝突している。

それらの感情を捨ててしまいと

願っていても

無意識の中に“罪の意識“が

埋め込まれていて、

酔った時や眠っている時に現れる

ことがあったりする。

これらが人生の“味わい“を

奪ってしまっている。

幼少期の愛情の圧政からの解放

著者はこれらは幼少期に教えられた

“禁止令“を成長したのちにも

心の奥底で受け入れているため

だという。

いろんな快楽事項

(酒を飲む、駆け引きをする、汚い言葉遣い

 セックスなど)は自分を堕落させる

ことだという感情のために毒されていく。

それらの者が切望する喜びは

幼い頃に経験した母親からの愛撫される

喜びとなる。

しかし、成長に伴いその喜ぶは

得ることができないため

もう、どうでもいいという感情と

陥ってしまう。

性的な関係を持った異性からは

同じような喜びを得ることもできない。

それは禁止事項の上に成り立っている

ため、相手に対して尊敬の念を

抱くことができないからなのである。

そのことで失望のあまり

意地悪となりその意地悪を後悔し

罪と後悔をループさせて

ろくでなしの心情になっていく。

これほどまでに迷わすのは

到達したい相手(母親など)に対する

献身的な愛情と幼少期の

ばかばかしい“道徳感“や“美徳“の

犠牲者となっている。

幼少期の信条と愛撫の圧政から

解放されることが

幸せの第一歩と著者は記しています。

ナルシシズム

自分を賛美し、人からも賛美されたいと

願う習慣を本質とするもので

これが弊害となるのは

行き過ぎた場合のみだが

例えば、

愛情を感じる能力が枯渇してしまった

お金持ちの女性は

その代わりに全ての男性に愛されたい

という強い欲求があれば

相手が自分に関心を示すと

相手になんの用もなくなってしまう。

こうなると恋愛から真の満足を

得られなくなる。

こうなってくると“自分自身“にしか

興味のない人になってしまう。

そして世間から称賛される対象では

なくなり

自分の可能性を

制限してしまうことになる。

この自己愛の強さが

純粋に活動を楽しむといった

気持ちを殺してしまい

無力感と退屈を生んでしまう。

客観的な興味に刺激を受けた活動を

立派にやり遂げることが

それらの対処策となると

著者は記しています。

誇大妄想狂

魅力的であるより権力を好み

愛されるより恐れられることを

求める。

ナルシストが虚栄心を満たすものなら

誇大妄想狂は権力欲を満たすもので

どちらも正常な人間の中にある

強い要素のでそれなりに受け止める

必要がものらしいのですが

これも過剰な状態では

幸福ではないと著者は記しています。

自分は妄想的に“偉い“と思っている

このタイプはある意味では

幸福かもしてないが

例え、自分が“神“のように思えても

ある部分だけ突出した能力を

“神“と思い込んでも

究極の満足は得られない。

著者はこれらの誇大妄想狂は

度を越した屈辱感の産物であると

示している。

劣等感や幼少期の不満が

過剰に満足を得たいという

欲求を生み出してその行き過ぎた

行動によって周囲のものに

弾圧されるのは時の

権力者(アレクサンダー大王、ナポレオン)

の末路を見てもわかると記しています。

誰もが“全能“に慣れない限り

権力欲に支配されて生きるのは

最終的には克服できない障害に

ぶつかってしまうことになる。

それらの障害も権力によってある程度

乗り越えられ、

権力が大いに幸せをもたらすかも

しれないが

人生の目的となるほどの

度を超えた権力は一種類の満足に

こだわるあまり

自分の人生を一方向しか考えられず

その達成のみを不当に強調する人を

なり、

次第には、意欲を挫かれ

気晴らしや忘却ばかり求めるようになり

幸福を求めるような

活動的に生きることができなくなり

酔いしれ、忘却以外の“幸福“を

諦めてしまう。

これらも幼い時のある程度の

満足を奪われた結果によりものだと

著者は記しています。

まとめます

著者は自分に関心が高すぎると

自分の理想や虚像に追い潰されて

挙げ句の果てには不幸になってしまう

と記しています。

もっと、外的な要因に好奇心を持ち

働きかける気持ちが幸福の鍵に

なっているようです。

そのためには

幼少期から埋め込まれたの間違った

「道徳感」や「美徳」からの

脱却を試みる必要があるようです。

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