義務教育に“古典“は必要ないのか?『祖国とは国語』藤原正彦著

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1980年にゆとり教育路線が

しかれてからは、

読み物としての

「古典」は削減につぐ削減が

なされている。

落ちこぼれや不登校やいじめの

増加した要因の一つが

学習の過重負担にあるとされていた

ためであります。

世間ではもっと「経済」の話なども

子供のうちに教えておいた方が

ためになるという声もあります。

国語の教科書の内容量も

1980年以前の半分程度に

なってしまっています。

しかし、

このような状況に警鐘を鳴らすべく

「古典」の重要性を本書では

示されています。

戦後の国語教育の変遷

現在“古典“だけではなく国語教育は

削減され、戦前の三分の一である。

そして、

古典軽視には終戦後の考え方にある。

文語は軍国主義の名残りとして

忌避する傾向があり

新しいものほど良いという

アメリカ文化が蔓延したためだと

著者は記しています。

1952年に公用文における

文語が廃止され、新聞なども

それに従ったことからも

文語は年々衰退していった経緯が

ある。

「文語」は美しい情緒を育む

現在の教科書に多く用いられている

口語には韻を踏むなどの

技巧を駆使し、音楽性を出したり

哲学性を注入したりすることで

芸術性を高める工夫が施される

必要があると

著者は記しています。

それに比べて文語は

助詞や助動詞が豊富なので

音声的に単純になりにくい

性質がある。

ゆえに明治大正から終戦までの

文語による教材(国定教科書)には

装飾しなくても

朗誦するだけでも華があり

また雅趣があり、

美しい情緒を育むのに

最適な教材となっていたのです。

敗戦がもたらす漢字文化の衰退

漢語を含めた“古典“で言えば

漢字が戦後のGHQの指導により

漢字を全廃し仮名に移るまでの

移行処置として1850字のみ

残されることとなったが

新聞などで使える漢字が減った分

漢字文化圏にある我が国の豊富な

言語文化を毀損してしまったのです。

このように“古典“はどんどんと

軽視されていきました。

子供に迎合したゆとり教育

漢字の制限は戦後のGHQの方針だけでは

なく、「ゆとり教育」の一環として

画数の多い漢字は低学年には

教えないといった制限を加え

本来の豊かな漢字文化から子供たちを

遠ざけてしまった。

このように

日本語の美しい表現やリズム、

人々の深い情感、美しいものへの

日本人の繊細な感受性などに

触れる機会を子供から

奪ってしまったと著者は

示しています。

まとめます

ゆとり教育のために学習時間が

削減されて

限られた時間で学ぶことは

“生活“に直結したものに絞られがち

ですが

本書を読んで、表面的な

必要に迫られたものよりも

“中身“を育てる教育が義務教育には

必要ではないかと思いました。

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