1日でも長く夫より生きなければ!『そうか、もう君はいないのか』城山三郎著

そうか、もう君はいないのかそうか、もう君はいないのか
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講演会の最中、後ろに目をやると

おそ松くんに出てくる“イヤミ“の

「シェー」の格好をして見せているのは

この作品の妻の容子さん。

こんなお茶目な妻が自分より

先に逝ってしまうなんて

著者の喪失・無力感は相当のもので

あったに違いありません。

先に旅立つものも心残りでは

あるかもしれませんが

残されたものは

癒えることがない痛みや喪失感を

これからも背負って生きていかなければ

なりません。

戦争を経験した著者にとって

人の死がいかに自分の心を廃墟と

してしまうのかを知っているだけに

妻を失った後も

生きていかなければならなかった苦痛が

ひしひしと伝わる

この作品となっています。

くすんだ図書館で妖精に出会う

偶然出会った、オレンジ色がかった

ワンピースの“妖精“が

本書の著者の奥さんになる

容子さんである。

著者は徴兵猶予を与えられながら

両親の心配をよそに

海軍に志願し朝から晩まで

殴られ続けた日々の中

終戦を迎え、戦争の意義や

死んでいった者たちの

ことを考えながら

「これからどう生きていけばいいか」

考えた時、

作家として、小説という形で

答えを見つけようとする。

そんなどこか廃墟と呪縛の中で

出会った容子さんは

それらの感情と対照的で

華やかで若々しくその姿は

“天使“や“妖精“に見えたのでしょう。

その印象は生涯にわたって

続いていくのです。

名古屋での同居新婚生活

新婚旅行はバタバタと初々しく終わり

新婚生活が始まりますが

戦後なかなか物件が見つからず

著者の実家で住むようになります。

家事手伝いがいたのですが

それでも商家の嫁は同居となると

社員や家族の面倒を見ないわけには

いかず大変な毎日となったのですが

容子さんは疲れているのは

傍目からもわかるぐらいでしたが

苦労を口にしなかった。

それから、動物の世話や

同人誌の集まりで喧嘩になったのに

驚いたり

そして、生後三ヶ月の長女もなくなり

それからまもなく義母も亡くなるの

です。

『文學界』新人賞を受賞

怒涛の新婚生活の中で

著者は小説を書きあげ『輸出』という

作品が『文學界』新人賞を受賞することに

なります。

その作品について洋子さんの感想は

「泣けるわ」と一言だけで

後にも先にも著者の作品を読んだのは

これが最後だということです。

自分の夫の

ペンネームが「城山三郎」ということも

この時は知りませんでした。

次の作品を書くべく二夏続けて

家を開けて

制作の没頭したにもかかわらず

何の賞も得ることができなかった

著者に対して

容子さんは何一つ文句も言わず

質問も口にしなかった。

それは「とにかく食べて行けて、

夫も満足していたら、それでいい」と

思っていたからということです。

『総会屋錦城』で直木賞受賞

本格的な作家生活のため

東京へ行くことになったが

住むところが決まらず

神奈川県茅ヶ崎へ引っ越しする

こととなる。

そこで、すぐにはうまくいかなかったが

容子さんは気にとめず

取材旅行への同行にも

「行く、行く、行く」と2つ返事で

答えた。

また、机上の原稿用紙をチラッと

見ては

その作品の主人公に対して

「つき合っているの?」などと

戯けたりして笑っていた。

パイロット・フィッシュのように

パイロット・フィッシュは水槽にメインの

魚を入れる前に水質を整える

強い魚で著者は小説を書くための

取材としていろんなところに

潜入的取材をさせます。

それは著者が作品を作る上で

とても大切な役割を

果たすものでした。

『指揮官たちの特攻ー幸福は花びらのことく』

この作品は容子さんの死後書かれた

作品です。

特攻隊の親や妻子にとって

戦後は一種の長く、切ない余生で

あったのではないだろうか。

特攻隊員たちは

サブタイトルにもしたが、

花びらのような淡く、

はかないものにせよ、幸福な時間を

持って、死んでいった。

残されたほうは、特攻隊が飛び立った後、

ただひたすら長い、せつない、むなしい

時間を生きなければならなかった。

これは、どちらがより不幸なの

だろうか。

「そうか、もう君はいないのか」城山三郎著

先に死なれた親や新妻は

その痛みや喪失感がなくなることなく

生きていかなければならないという

悲痛を著者はこの作品で

自分のことと重ねているように

感じられます。

総理なんかと話している場合ではない

妻の体調がすぐれなかったため

検査を受けた結果、癌であることを

告知された容子さんは夫の著者の前では

気丈に振る舞い

「ガン、ガン、ガンちゃんガンたらら…」と

明るく唄声を発していた容子さんを

「大丈夫だ、大丈夫だ」と抱きしめた

著者でしたが

容子さんは死へ向かって行きました。

意識がない状態でいつお別れが

くるかわからない状態であった

にもかかわらず

NHKテレビ番組「総理と語る」の

収録にいかなければならない。

そんなことしている場合ではない

と著者は思うのですが

娘からお母さんのために行くよう

説得される。

容子さんの望むような行動を

してあげたい著者は別れの挨拶を

して収録に行くことにする。

息子に対して“挙手の礼“をする

容子さんは著者が収録から帰ってくると

奇跡的に意識を取り戻す。

為替のディーラーの息子は

テレビの衛生中継で時に

解説をしていることもあり

それを病床で容子さんは

見ながら「元気そう」と喜んだ。

その息子が

ニューヨークから仕事の都合をつけて

駆けつけ、また仕事の都合で

戻ることになった時、

容子さんはベットからずり落ちるように

直立に“挙手の礼“を息子に対して

行ったので帰路で

それを思い出して笑いながら息子は

帰って行きました。

まるで、“特攻隊“のように振る舞った

容子さんを著者は偲びます。

そのシーンを思い出す度に

私の声は出なくなる。

いや、声なき声で、

つぶやきたくなる。

「生涯、私を楽しませ続けた君に

ふさわしいフィナーレだった」、と

「そうか、もう君はいないのか」城山三郎著

小説家の著者でも

思いつかない明るい最期で

また、してやられたと

思うのです。

まとめます

この7年後著者も亡くなって

しまいます。

この作品が最後の作品となります。

偉大な作家を支えた妻の容子さんは

偉業を成し遂げた人のような

振る舞いをしていたわけでは

ありませんが

著者の生涯を埋め尽くした

人物でありました。

通夜も告別式も出ない、

喪服も着ない、お墓参りもしない

妻の死を拒否し続ける著者でしたが

そのようにして容子さんと

永遠に生きていったのでしょう。

「総理となんか話している場合じゃない」と

いう駄々っ子具合に涙が出てしまいました。

1日でも長く夫より生きることが

私の目標となりました。

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