②「だだいま」と言える幸せ『漂流教室』楳図かずお著

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この作品が描かれた1970年代前半から

現在に至っては

食べるもの、着るもの、住むところ

至ることで

充実した世の中となりましたが

この“物資的な豊さ“によって

失ったこともあります。

それは環境の汚染や人の心の一体感

などでしょう。

本書は翔が通う小学校が大きな地震と

共にタイムスリップし

廃墟となった未来にタイムスリップ

してしまう物語(漫画)です。

そこは、

砂漠と環境の変化に伴って生まれた

怪虫や怪物のような人間や生き物が

生息する混沌とした世の中でした。

悪環境下を力強く生きていく

姿を通して

現代の問題について考えてみます。

人喰い怪虫が現れる

“植物“が生えているかもしれない

情報を得て

翔たちは校外に出ていきます。

そこでは食べたら“砂“になる

植物のようなものは

生い茂っていましたが

その中からムカデとサソリを

合体させたような巨大な

“人喰い怪虫“が現れます。

何人もの子供たちが食べられて

いきましたが

なんとか翔は小学校に帰ってきます。

異常な飢餓に喘ぐ仲田くん

小学校では問題が起こっていました。

いくら食べてもお腹がすく仲田くんは

食料を盗んだり、みんなの前で

食料をねだったりします。

もちろん、

残っている少ない食料を

ギリギリで分けて食べているので

仲田くんは批判の的となり

制裁を加えられますが

それでも

死にそうに食料をねだるのです。

仲田くんの空想の産物が“人喰い怪虫“だった

学校まで襲ってきた“人喰い怪虫“と

戦う子供たちですが

みんなを守るためと矢面に立った

子供たちは無惨にも次から次へと

食べられてしまします。

それでも何とか学校外に追い出した

翔たちは怪虫を退治すべく

後を追います。

そして、戦いますが劣勢で

もう後がないという時

学校から一枚の絵を持って

足の悪い西さんが駆けつけます。

その絵は仲田くんが低学年の時に

書いた怪虫の絵だったのですが

それが

この怪虫にそっくりだったのです。

この“人喰い怪虫“は

仲田くんの妄想から生まれたもの

だったのです。

おぼっちゃま育ちで気の優しい

神経質な子供だった彼は

恐怖のあまり自分が日頃描いていた

恐怖をこの状況で

形作ってしまったのでした。

恐怖と孤独に駆られた

仲田くんに妄想を止めさせるのは

難しく、

一度、翔がナイフで刺すふりをして

ショックを与えたことで

大半は退治できましたが

仲田くんの恐怖や孤独は

そんな簡単に癒えることなく

また、怪虫を生み出してしまう。

そんな仲田くんがみんなに

責められているところを庇った

西さんのために彼は自分の頭を

石斧で殴打し自殺してしまいます。

すると怪虫は

全て砂と化してしまいました。

合言葉は「ただいま」

大事な友達の亡骸と共に

学校へ帰ってきたみんなは

思わず「ただいま」と言って門を

くぐります。

泣きながらこれが

母や父を待つ家ならどんなに

よかったかと思うと悲しい

気持ちになりますが

本当の意味で「ただいま」と言える

日がくることを願って

みんなの合言葉にすることに

しました。

明日、みんなに会えるかどうかも

わからないサバイバル生活の中で

「ただいま」を言える幸せを

子供たちは感じています。

ぼくがいままでよんだ

小説の本や詩の本に

でてくる

どのことばよりも

いいことばだ!!

でも、いまのぼくたちには

ありふれたことばが

いちばん意味が重くて、

いまのぼくたちからは

いちばん遠くにある

ことばなんだね!!

「漂流教室」楳図かずお著

と言いながらみんな伏せ泣きします。

当たり前のことに感謝したり

感動したりそんな経験を翔たちは

体験していきます。

食べ物も気に入らなければ簡単に

捨てたり

小さな草花などわざと踏んだり、

ものを壊しても弁償すれば良いだけと

ものを大切にしなかったりと

今の翔たちは後悔しても仕切れない

毎日となったのです。

まとめます

毎日何気なくしていてことや

当たり前のことが

どんなに幸せだったのか

思い知らされている子供たちですが

現代においても

一歩外に出れば

何があるかわかりません。

「ただいま」という言葉が

どんな言葉よりも

貴重な言葉だということは

私たち現代でも変わらないのです。

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