「100%幸せな1%の人々」とは
今、恵まれていることに気づいて
感謝をしている人々です。
そんなところから始まる
“幸せ“とは自分発信の感情なのです。
受け入れるだけで解決することが99%
自分の価値観や理想に合わない人との
お付き合いは倦怠感じてしまう。
そういうことは結構あるのでは
ないかと思います。
相談しにきても、
「私の姉が…、友人が…」
と言い始めると、もうそこで
「やめましょう」と言って終わりです。
100%幸せな1%の人々 小林 正観著
周りをどうしたいという相談は
本人がどうこうできる問題ではないので
いろいろアドバイしても
仕方がないことなのです。
「他人を自分の思い通りにしたい」
これは、初めから無理だからです。
それを
自分の悩みと勘違いしているだけで
もともと動かせない大きな石を
動かそうとしている。
それは、疲れるばかりです。
動かせないものだとしっかり認識と
ラクに生きると本書では
記しています。
執着を強く持つことの弊害
「こうでなければならない」という意識は
いろんな競争での敗北の経験から
かなり薄れて来ていたのですが
それでも
「こうでなければならない」と
意識しなければ
達成できないこともあり、
また自分を喚起して過ごしていると
そのことが達成できた喜びなどは
自分に言い聞かせる程度にしか感じられず
逆に
ひどい悲しみや苦しみの方が
多く感じてしまうことがあります。
ある出来事を
「どうしても達成したい、実現したい」
と思うことは、
「思い」にとらわれているというに
ほかなりません。
100%幸せな1%の人々 小林 正観著
執着はみずからつかむことで始まっていると
本書には書かれています。
自分で何か鬱陶しい状況を作って
いるのです。
執着やこだわりから解き放たれた人の
ことを、日本語で「ほとけ」と呼びます。
「ほとけ」の語源は「ほどけた」「ほどける」
という言葉から始まっています。
つまり、自分を縛るもの(=執着)から
解き放たれた人が「ほとけ」なのです
100%幸せな1%人々 小林 正観著
淡々と過ぎる日常の幸せ
「あれも欲しい、これも足りない」と言って
ずっと何かを追い求める。
物だけでなく
もっと良いやり方、もっと効率よく
こなすには、
もっと品質を上げなければ
と躍起になる。
この「向上心」が人を大きく成長させて
生きる価値を与えるように思いがちですが
結局のところ、こう思い始めると
ゴールがないマラソンコースを
走っているようなもの。
最後には自分が引いた線を
ゴールに決めて終わらなければ
ならないのです。
本書では最初からゴールを目指して走るな
と言っています。
もともと、納得するゴールなどなく
自分で勝手に引いてゴールで終わる
のですから。
「もっと私がかなくな張って成長すれば
幸せが手に入るんだ。」と思いながら
生きている人が多い」
でも、結論から言ってしまうと
幸せとは
「努力したら手に入るもの」では
ありません。
100%幸せな1%人々 小林 正観著
まとめます
人はドラマティックな人生を
送りたいと思いがちですが
人生がドラマティックかどうかは
過ぎた日々で思うことであって
今日という日は
何も起こらない淡々とした日々を
人は幸せだと感じているのです。
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