救命と延命の違い『それでも病院で死にますか』尾崎容子著

それでも病院で死にますかそれでも病院で死にますか
スポンサーリンク

若い時と違って

加齢に伴って病気を患うようになると、

その多くは入退院を繰り返し

一旦は元気になることも

あるのですが

入院の間に体力がすっかりなくなって

退院しても在宅での療養が

余儀なくされることもあり

そのうちに徐々に弱っていき

終末期に向かっていくケースが

多いのですが

そんな時、

「終末期をどこで過ごしますか?」と

いうと問いかけを

本書で著者が

投げかけているので

紹介したいと思います。

「Aging in place(その場で老いていく)」

医学の進歩により

病気は完治できない状態でも

長時間の生存を期待できる

ようになったことで

「治癒」だけが目的であった

医療の役割が翳りを見せ始め

介護の役割が重要な時代に

なってきています。

そこで生まれた概念が

「Aging in place(その場で老いていく)」

という考え方だと

著者は本書で記しています。

「老いることを当たり前と認める」

これまでは

「アンチエイジング」とか

「元気にいきいき」など、

予防医学をはじめとして

病気になることを否定した生き方が

勧められてきました。

「老いていく」というのは

その真逆のことなのです。

そこから

「老いることを

 当たり前のこととして認める」

という今までも

価値観の転換が必要だと

著者は記しています。

“アンチ・アンチエイジング“とも

言いましょうか…

そういう発想のもと

「最期は病院で迎える」から

「住み慣れた場所で、当たり前のように

 暮らしていく」が

叶えられていくことになるのです。

「老いて死に至ることを認めていく」

老いても今までと変わらない生活を

していきたいと誰しも思いますが

それがなかなか叶えられないのが

現実です。

それは、“老いる‘“ということにより

さまざまな困難が発生するから

なのです。

日本ではここ数十年、

自分のいた場所で死に至ることは

難しいこととされていたからです。

「寝たきりになれば

 病院に入院すればいい」という

考え方が主流になっていました。

なので、長期療養型の病棟が多く

あり、

そこで死に至るまでの時間を

死の瞬間のためだけに

過ごさなければ

なりませんでした。

高度医療が導入されて

それをめいいっぱい施されないと

死んではいけないような

どこか罪悪感もあったからかも

しれません。

「最終末期は、病院で医療を受けながら

 過ごすのが当たり前」と、

受け入れられてきたのです。

そこで

「必要以上の延命治療」が提供される

懸念が生まれてきました。

それが

「個々人が納得した終末期なのか」という

問いかけもされるように

なってきたのです。

延命と救命の違い

住み慣れた場所で老いていく過程で

「最期はどこで療養したいか」を

考えるようになります。

そして、それは

「最後の最後、延命処置をどこまで

 してほしいか」ということを

決めることでもあります。

著者は自分の中でそして

家族との間でこのことを

最終末を迎えるまでに

決めておくことが

大切だと言っています。

そこで注意が必要なのは

救命を否定するものではないと

いうことです。

わかりやすい例として

「いまわの際で救急車を呼ぶか呼ばないか」

という問題があります。

これは病院で最終末を迎えるなら

そこまで決断を迫られることは

ないのですが

医療機関以外のところで

最終末を迎えるなら

考えておかなくては

ならないことです。

しかし、

「餅を喉につめた場合はどうしょう」と

考えた時

「こういう時も救急車を呼ばない方が

 いいか」ということですが

これは、延命ではなく“救命“なのです。

救命は今、

処置すれば助かる可能性が高い場合の

ことです。

“延命“はこの処置をして

一時的に命が長らえても

すぐにまた、命の終焉が迫ってくる

段階でのしのぎの行為です。

いついかなる時も

救急車を呼ばない、ではなく

“救命“の可能性がある場合は

速やかに呼ぶようと医師の立場から

著者は記しています。

結果として“救命“が“延命“になる

ことになりますが

突発的なことが起きた場合は

まず“救命“を考えます。

その後の延命治療については

拒否する考え方もあるし

可能性のある限り治療を受けたい

と考える人もいると思います。

それを

医師や家族等と共有することが

大切になります。

さらに

「自分が寝たきりになったら

 急を要する(救命)時も

 救命処置はいらない」という

考え方だってあります。

これらの意思表示は

自分のためだけではなく

家族や

お世話になっている医師(医療関係者)

のためにも必要なことなのです。

まとめます

自分の最期をどこで過ごすかを

考えた場合、

医療機関以外で過ごすことに

した場合、

この延命か救命かが問題と

なってきます。

死の間際にすぐに判断することが

できず、

長々と不本意ながら延命させられる

ことになったり

または救える命を放置したと

罪悪感に苛まれ、

後悔するになったりと

自由に自分らしい最期を迎えるのも

難しいのです。

なので、

死について考えるなんで

元気な時には想像できるものでは

ありませんが

「老いて死に至るということを認める」

努力は必要になのです。

コメント