スチューデント・アパシー『パーソナリティ障害』岡田尊司著

パーソナリティ障害
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自分が望んで入った学校なのに

なぜか授業に出るのが

厭で厭で仕方なく

興味がないわけでもないのだけれど

今までのように頑張れない。

もう、どうでもいいやという

気持ちになって

動けなくなってしまう。

屁理屈をこねたりしながら

無為に時間を過ごしているうちに

浦島太郎状態になって

ますます出るのが億劫になる

という悪循環が起こる。

もう、2年も引きこもってしまった

という著者の経験も踏まえて

本書では

この回避性パーソナリティ障害に

ついての紹介しています。

スチューデント・アパシー

いじめなのが原因で引きこもりに

なるケースはよく聞かれますが

もう一つ多いパターンは

本人の意志とは、無関係に、

小さい頃から親の望むように

やらされ続けたことが

強制労働体験のように

一種のトラウマになっっているケースが

あります。

頑張らせすぎたことによる無気力化

こうしたケースでは

やらされてきたこと、

努力することに対してアレルギー状態が

生じていて、

もう、

あんなことはたくさんという思いが、

本人の気持ちに染みつき

その頑張らされ続けた

その後遺症として、

無気力な状態に陥ってしまうことが

あると本書では紹介されています。

長い受験勉強から解放された

学生に見られる

無気力、無感動状態なのですが

それだけではなく空虚感を伴い

長い監禁状態から解放された者の

ように

遅延性のうつ状態や引きこもりが

見られる

「もう自由になったはずなのに

 今の生活に対する空虚感」と

似ているようなことが起こると

著者は指摘しています。

優秀な父親に支配される息子

スチューデント・アパシーの人では

偉くて立派な父親が多いと

されています。

立派すぎる父親というのは

子供にとってありがた迷惑な

存在とも言えるのです。

ことに、息子にとって

大きすぎる父親は

子供の挑戦使用という気持ちを

萎縮させるのです。

こういう家庭では

父親を中心として全て回している

ことが多く、

その子もまた。父親の自己愛の奉仕者と

して組み込まれ、本人の意思とは

無関係に、父の望むことを

やらされ、

急ぎ立てられ、成功を当然とみなされ

失敗するわけにはいかないと

常にプレッシャーを

感じてきたのです。

このとても頑張り屋で努力家の親は

自分が辛いことがあっても

務めをやり抜いたという

自負があり

子供が弱音を吐くことを許さず

頑張らせてしまうのです。

それは高度経済成長期に

努力すれば報われるという

価値観の中で育った親世代が

それを当然のこととして

子供にも頑張らせすぎてしまい

とことん痛めつけてしまうのです。

スチューデント・アパシーの人の接し方のコツ

主体性を尊重する

自分の意志とは

無関係なことを押し付けた挙句

「そんなこともできないの?」と

二重の自己否定をしてしまうと

本人は手足を縛られ毎日水の中に

放り込まれているような

心境になると著者は

その苦しさを表現しています。

口はガムテープで塞がれ

助けを求めることさえ許して

もらえなかあったことから

無感情、無気力となり

自分を守っているのだと

著者は指摘しています。

対処法として

子供が何かしたいいうまで

親が先に判断して、やらせたり

手をを出さなず

本人が意思表示するのを待ち

それが例え周囲にとって

期待外れであっても

それを尊重することが

大切だと著者は語っています。

他の方法もあることを指し示す

動けなくなってしまうのを

予防する上で

誰かとうまくいかなかったら

別の誰かに受け止められて

居場所を見つけることができれば

いいし、

何かで失敗しても

他のうまくいくことを見つければ

それでいいと逃げ場を

常に用意しておいたり

選択肢がたくさんあると

認識させたりすることによって

本人の力みや追い詰められた感を

和らげ、復活させることになると

著者は語っています。

義務を説いかない

例えば、

子供は学校へ行くのが仕事で

どんなことがあっても

自分は学校へ行き

自分の仕事を果たすべきだと

思い込んでいるのでいる親は

学校へいかない子供が

理解できない。

こんな親に何を言っても無駄だと

思っている子供は

自分の意思表示をずっと抑えて

いることが多く

長年にわたり疲労が蓄積し

動けなくなりこうなれば

親が義務を説けば説くほど

疲労が積もり、

もうびくとも動けなくなって

しまう。

こうなってしまうと

長期間を用いないと

回復できなくなってしまいます。

こうなれば、自ら動き出すのを

待つより仕方があありません。

しかし、それがまた子供の

プレッシャーへとつながることが

あるので

親は子供にかかりきりになってない

アピールをし

本人を信じているところで

繋がり

むしろ自分自身のことに

精を出すようにするのが

周囲の対応として

相応しいとしています。

まとめます

親は子供の将来のためを

思って行動したことが

その本人の“主体性“を奪い

ある日、

子供自身は

自分が何者なのがわからなくなり

無気力、空虚感に苛まれ

動けなくなってしまう。

子供は親の言うことを

聞いていれば良いという

“高度経済成長期“的な考えの

押し付けが

この時代を生きる子供には

そぐわないということを

親がわからないといけない

ということなのでしょう。

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