①人種差別は違法 貧乏は合法?『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』ブレイディみかこ著

ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルーぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー
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本書の主人公の少年は

地域でランキング一位の小学校から

最近ランキング上昇中の元底辺中学へ

入学し

今までに経験しなかった

“多様性“との出会いの中での

奮闘を描いた作品なのですが

現代社会で重んじられている

“多様性“とは一体どんな問題が

あるのでしょう。

彼はレイシストだ!

アイルランド人の父と日本人(福岡)の母との

間に生まれた息子はカトリック信者が通う

名門小学校から

白人労働者がほとんどの割合を占める

元底辺中学校へ進学する。

そこで演劇の稽古をしていた時に

劇の主人公である「ダニエル」という少年と

衝突することになる。

原因は、ダニエルがダンスの覚えが悪い

黒人の少女に

言ったセリフがきっかけたった。

「ブラックのくせにダンスが下手な

 ジャングルのモンキー。

 バナナをやったら踊るかも」と

陰口をたたきながら笑っていたという。

「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」ブレイディみかこ著

それを聞いた著者は息子を諌めます。

「無知なんだよ。

 誰かがそう言っているのを聞いて

 大人はそういうことを

 言うんだと思って真似しているだけ」

「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」プレイディみかこ著

ダニエルはハンガリーからの移民であり

“外人枠“での差別を受けることがある。

例えば、「くそハンガリー人」「東欧の田舎者」

などの差別的なことを言われる立場でも

あるのです。

著者の息子も母が日本人だという

東洋人の血が混ざっていることで

“純正でない枠“の差別を受けることが

あります。

この二人が衝突してお互いを

罵りあうのですから

著者にしてみればこのことは

想定外だったのです。

著者の息子は

カトリック教徒のための小学校に

入っていたため

国籍や民族性という軸での

多様性が浮き彫りになることは

なかったことが

著者の息子にとって“免疫のない病気“に

罹るが如く

ダニエルに対して

激しい拒否感になったのでしょう。

そして、さらに大多数を占める

“純正“で“自国“の人である

白人労働者もまた、

その貧しさやその品性から

「貧乏人」と

罵られる存在なのです。

“多様性“とはいいことなのか?

息子は“多様性“とはいいことだと

学校で習ったので、

漠然と「いいこと」だと思っています。

それは著者は否定しません。

しかし、こう言います。

「多様性ってやつは物事を

 ややこしくするし、

 喧嘩や衝突が絶えない、

 そりゃないほうが楽よ」

「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」プレイディみかこ著

息子は腑に落ちないようですが

著者は楽すると考えなくなって“無知“に

なるからと諭します。

人種差別は違法 貧乏は合法?

ある日ダイエルは白人労働者の住む

「チャヴ団地」に住むティムと

衝突する。

日頃からダニエルはこの高層団地に住む

住人を快く思っておらず

「あいつの一家は反社会的」

「アンダークラスと付き合うと

 ろくなことがない」など

言っていた矢先の出来事で

ダニエルが「貧乏人」と笑ったので

ティムが「ファッキン・ハンキー」と

中欧や東欧出身者に対する蔑称を

口にすると

先生はティムの方に思い罰を与えます。

息子はそこに疑問を感じます。

ダニエルだって「貧乏人」と言ったのに…

著者は

「人種差別的なことを言ったからでしょう」

と諭しますが

息子はどっちも同じだけ悪いと主張します。

著者は法律で裁かれるからティムには

それを教えておかなくてはならないという

学校の配慮だと言って聞かせようとすると

人種差別は違法だけど

貧乏な人や恵まれない人は

差別しても合法なんて

おかしくないかな。

そんなの、本当に正しいのかな?」

「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」プレンディみかこ著

「その法律は本当に正しいの?」と

食い下がる。

「必ずしも正しくないけれど

 法からはみ出すと将来的に

 困るのは罰せられるティムだから

 きつくしているんじゃないかな」と

著者が諭しますが

息子は「犬の躾のようだ」と

納得しない様子です。

しかし、著者も

本当は両方に同じように叱る方が

今後の道徳感にとって

最良であるということを

少女時代に

自分が“ティム“のような行為を

したことがあったため

知っていました。

感想

 “多様性“とはいろんなことを求め合う

というとても良いことではあるのに

“多様性“を認めるがために

他方との違いが生まれ

また、差別がおこることになります。

差別していた者が違う角度で

差別される側になるのです。

ある意味、

特定の宗教を信仰するように

一つの教義の価値でしか見られない

“枠“の中で過ごしているうちは

何も考えず、差別されることもなく

平和に暮らせると“多様性“の

しんどさを著者は著書で語っています。

しかし、この“枠“を出ず“多様性“を

拒み続けることは

「無知」という人生を送らなければ

ならなくなるということを

作品を通して

息子に伝えているのでしょう

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