③自分を棄てすぎない人『ここは今から倫理です」ひずき優著

ここは今から倫理です
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人は自分の中に『特別』を持っていて

それを誇示したり有したいと

思っています。

その『特別』を示す方法はさまざまで

それに伴って社会のパーツとしては

過不足を生じさせることがあります。

その苦労を背負いながら

人は自分という“人格“を形成して

いきます。

本書では「倫理」の教師高柳が

人よりも少し生きにくそうな生徒に

寄り添っていく姿が描かれています。

言語的コミュニケーションを取らない生徒

「倫理」の教師高柳は

発声に問題はないのに言葉を発しない

男子生徒に働きかけます。

この生徒は成績も優秀で

スポーツもできるし

クラスでも仲間外れされることなく

どのかのグループに属している。

喋らなくても表面上は何も

問題ないのだが

社会に出ると

言語的コミュニケーションが

どうしても必要となるため

教師たちは

この生徒ことに躍起になっている。

「声が聞けるのか?」と…

人間は対話を経て成長する

人気のないところで一人、

昼食を摂っているこの生徒の隣に

遠慮がちに座り話しかける高柳だが

チラリともこちらを見ません。

お互い目を合わすことなく座り

高柳は倫理のテストが満点だった

ことを褒めるが反応はなく

黙々とパンを食べている。

しかし、高柳がふと発した言葉には

反応しました。

「これメンチカツだって言ってたのに

 コロッケだった」というと

「えっそうなん?」と言わんばかりに

高柳を見ました。

数日後、また高柳はその生徒の隣に

座って昼食を摂ります。

ちょっと鬱陶しそうに思っている生徒に

困ってる時だけでも教えてほしいと

伝えます。

「……哲学者の祖ソクラテスは、

 ひとつも文字や文章を残していません。

 残したのは

 “対話“を聞いた弟子がメモしたものが

 現在に残っているだけ。

 『あれ何だろう?』、

 『これはどうしたらいいんだろう?』

 ……そういう“対話“が哲学そのもので

  その哲学がこの世のすべての学問を

  生んだ……」

「ここは今から倫理です。」ひずき優著

生徒に会話の大切さを説く高柳ですが

知らんぷりです。

“対話“の大切さがわからないから

“対話“しないのではなさそうです。

意味のある言葉しか捉えない

少し違う角度から

アプローチしていきます。

「あなたは不思議な人ですね。

 “我々は他人と同じようになるために、

 厳しい自己放棄によって自身の

 四分の三を棄てなければならない“と

 ショーペンハウアーは言いました。」

 「でもあなたは決して他人と同じに

なろうとしない。

 捨てているとしても、

 四分のニくらいな気がします」 

「ここは今から倫理です」ひずき優著

棄てすぎるよりはいいとホローしながら

言ったがそれでも反応はありません。

高柳もパンを食べることに

集中します。

すると

「二分の一」と生徒は呟きました。

ここで少し高柳は動きを止めますが

すぐ何もなかったかのように

咀嚼しながら

「約分しない方が伝わると思ったのですよ。」

と少し口角を上げて話し、

“対話“は終了します。

まとめます

この章の題は「セミの声」です。

この生徒にとって

ダラダラとした惰性的な会話は

音として聞こえても

意味を持って心まで届かないようです。

心に届いてない会話であっても

みんながやっているみたいに

合わせて会話し振る舞うのは

簡単ですが

自分の感性に従って人と同じ道を

歩まないことは大変そうです。

しかし、誰もが自分の人格を有したいと

願っているのです。

“目立つためにはどうしたら良いか?“

“一歩前に出るのはどうしたらいいか?“

“埋もれないためにはどうすればいいか?“

この生徒の場合は逆に“対話しない“ことで

人格を保持しようとしているのです。

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