「どうせ死ぬ」と考えた時点で人生は終わり『知的余生の方法』渡辺昇一著

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50歳を過ぎてからやたらと早まった

時間の流れ。

今のところは健康だけど

いつまで生きられるかは

わからない。

しかも、

いつまでこうやって本を読んで

過ごせるかわからない。

本を読み続けるのだって体力?

視力、財力?だっていると思う。

頭もそれなりに回らないといけない。

そんなことが保持できる期間と

なれば尚更、短いように思う。

そんな私のための指南書的な

本書の著者は

80代になられても

精力的に執筆されています。

その極意を本書より読み取り

参考にしたいと思います。

長生き、健康の秘訣

戦時中や戦後まもない頃は

人は潔く散っていくのが良いと

考えられていたかもしれません。

昔の人は短命だったので

40代や50代なら

“長生きは恥“とまで言われて

いた時代もあったようです。

吉田兼好の『徒然草』を引用すれば

「いのち長ければ恥多し」と書いた

と言います。

まあ、

人生の後半戦は何かと不自由な所も

多くなり、

失敗をやらかすことも多く

「あ〜死にたい!」と思うことも

あるでしょう。

しかし、著者はできるだけ

長生きするよう勧めています。

例えば、95歳にでもなれば

生死の欲がなくなり

心静かに死ねるのではないかと

著者は考えています。

「脳健康法」とは学び続けること

本書では漢字学者の白川静先生との

対談での出来事を記しています。

95歳を過ぎてもお元気で

健康の秘訣を聞いてみると

“規則正しい生活をすること“

と言われたそうです。

これは生活面だけではなく

脳を規則正しく使うと言うことで

年齢関係なく学び続けること

なのです。

規則正しい散歩は体のため

規則正しい仕事は脳のため

若い時のように長時間ではなくても

衰え、集中力が短くなろうと

一定の分量をやり続けることが

先生の言う「脳健康法」と

いうものなのです。

歳をとっても「やっても無駄」と

思う気持ちを捨てることが

健康の秘訣なのでしょう。

老後のために蓄えることは悪いこと?

人々は働いて財産を蓄え

それを老後の糧にしようとしてきた。

しかし、歴史の流れの中で

それに反旗する思想家がいました。

フランスのルソーやマルクスは

財産など悪と唱えています。

人為的に作られた社会や文明が

貧富の差を生み、人間から

自由と平等を奪ったと主張し

全て国有化し富を平等にしようと

考えました。

確かにこれから老人となり

働けなくなる私たちには

喜ばしい事だと甘えたくなりましたが

著者は

ノーベル経済学賞を受賞した

ハイエクの

「個人的な財産を持った人が

いなくなると、

財を持っていない人の自由までなくなる」と

ルソーやマルクスを鋭く批判した

考え方が今日の常識であると

言っています。

個人がお金持ちになれない制度では

庶民がいつまで経っても

裕福にはなれないからです。

皇帝や王族貴族だけが富を得て

あとは平等と謳った

アジアやイスラム圏では経済の発展は遅れ

資本主義をいち早く取り入れた

ヨーロッパやアメリカは早々に

経済を発展させた。

初めは、

富裕層でしか買えなかったものが

やがて庶民にも買えるようになる。

文化や成熟した社会も

お金持ちが資本を投入し開発され

それを庶民が使うようになり

生活が豊になっていたのです。

老後のため国からの年金制度が

日本ではありますが

ここは自由な資本主義社会の

恩恵を若いうちにしっかり受けて

老後に備え、読書三昧で暮らせたら

良いなあと思いますが可能でしょうか?

紙の本を読む

本を読むことについて

命を長られるために必要なことと

記しています。

本を読みことは考えることに

通じるので、読書と長寿の関係は

我田引水ではなく、

健康法にも関連していると

言って過言でないと思う。

大いに本を読むべきで、

できるなら本屋や古書展へ

足を運ぶことも体力作りにも

頭の運動にもなると言えると

思うのである」

「知的生活の方法」渡部昇一著

著者はできるだけ“紙の本“を

勧めています。

電子書籍やネット検索は

必要な栄養素をビタミン剤で

補っているようなものだと

言っています。

体や頭に良い情報というものは

「これだ」と思っても

取り入れようとしたことより

自分ではそれほどと

気にも留めてなかったことが

体や頭を活性化する情報に

なるかもしれないのです。

著者はもらったグレープフルーツで

例えています。

ビタミンCを取るだけなら

サプリメントでもいいし

なんなら総合ビタミン剤を飲んで

いたら栄養面では間違いなさそうだ。

なぜ食べるのか

「美味しいから」「甘いから」

「香りがいいから」

いろんな作用が体や頭に良い影響を

与える可能性があるからです。

木簡や石刻から考えたら簡便化し

良くなったと言えるのですが

その装幀や匂い、手触りまでもが

読書だったりするからでしょう。

知を求めて生きる

歳を重ねると欲を持たず

何も求めず生きるのも構わないが

著者は物質的なものは捨てても

精神の向上は捨てない覚悟が必要だと

言っています。

人は、一旦求めないとなると

自分の回りの様々なことが崩れ

肉体的にも精神的にも

人は崩れていくと言っています。

ここでは英文学の世界で

著者の先輩に当たる外山滋比古先生の

好きな俳句で

「浜までは海女も蓑着る時雨かな」を

引用しています。

この「海女」を自分の姿に見立てると

「浜」は死期になる。

どうせ海に入るのだから

時雨だろうが何だろうが

濡れることなど気にしないで

浜に向えばいいのに、

この海女は蓑を着るのだ。

この「蓑」は私にとって読書に当たる。

「どうせ死ぬのだから何もしない」

というのは

「どうせまた腹が減るのだから

 飯は食わない」に通ずる考え方では

 ないだろうか。

「知的生活の方法」渡部昇一著

私の著者のように

笑われようが貶されようが

最後の時まで何かを求め、何かに頑張り

生きて行こうと思います。

迷惑がかからない程度にジタバタしても

構わない。

「どうせ死ぬ」と思った時点で

もう人生が終わったと思うという

著者に共感しました。

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