成功するには目的意識を持たないこと『わたしが人生について語るなら』加島祥造著

わたしが人生について語るならわたしが人生について語るなら
スポンサーリンク

卒業や受験シーズン到来で春からの

進路について悩む学生たちも

多いのではないかと思います。

偏差値のできるだけ高い

大学に行くのか、

就職なら規模が大きな会社がいいとか

など

考えたりしているのでしょうか。

本書では進路についても

そんな肩肘張って

探そうとする必要はないと

言っています。

では、今の若者は何を指標に

将来設計をしていくのは

良いのでしょうか?

自然の中で遊び体で覚えた感覚

大正生まれの著者は関東大震災や

戦争を経験した時代の人です。

みんなが貧しい時代であったにも

関わらず、暮らしぶりはそれなりに

豊かな商家であり、多くの兄弟に囲まれ、

自由にのびのび育った様子が

本書には書かれています。

著者は大学教授であり翻訳家として

著名な人物となるのですが

周りから、

「勉強しなさい。」や

「学校へ行きなさい。」など一切

言われたことなく

自身の行動を否定されずに

育っていきました。

性格が暢気で自分の与えられた

環境で不安なことがあっても

「まあ、いいや」と楽天的な気持ちで

やり過ごしていきます。

環境が自分に合っていないと

卑下する前に

楽しいことはないかと

鼻をひくつかせる。

これは抑制されず思いのまま過ごした

ことによって体で覚えたことだと

著者は言っています。

好きこそ物の上手なれ

このように好きなことを

思いっきりやって育った著者は

早稲田大学に進学することに

なるのですが

その時も家業は兄が継ぐし

「大学でも言ったら」と兄に言われ

じゃ数学が苦手なので

数学なしで受けられる

大学に進学することにします。

その時も「大学教授」や「翻訳家」に

なろうと考えていたわけでは

ないのです。

今したいことをしているに

過ぎないのです。

世間が

「好きなことに向かって進め」と言うとき

それは将来のことを言っている。

「好き」なことは遠くのほうにあって

そこに向かって歩いていくための

目標になってしまっている。

でも本当の「好き」は

「今、このとき」の感情だ。

「今」したいと思うことを「今」する。

それが「好きなことをする」ことの

本来の姿だ。

「わたしが人生について語るなら」加島祥造著

悲観的にする最大の要因は嫉妬心

著者は60歳の時、妻子がある身ながら、

他の女性と恋愛することに

なります。

子供は大きくはなっていますが

家庭がある身なので

周りには迷惑をかける行為です。

大学教授という立場のあり

批判されることもありました。

それでも著者は悲観的には

なりませんでした。

世の中を悲劇的にする要因は嫉妬心

ではないだろうか。

他人と比較して、うらやむ気持ちだ。

そういう気持ちがどうして起こるかと

言えば

自分のしたいことをしていないから

だと思う。

「わたしが人生について語るなら」加島祥造著

今まで周りにいてくれた人は

半数以上が自分のもとを去り

体裁も保てない状態であっても

著者が悲観的にならなかったのは

自分に好きなことを

しているからなのです。

それに自分が楽しんでいると

他の人があまり気にならなくなり

恨んだりすることはなく

それが周りのためにもなっていたのです。

自分が楽しめてないのに

「あいつだけ楽しんでずるい」

なんて思う人が周りにいると

周りの雰囲気は悪くなっていくでしょう。

そのためにもみんなが

「自分の好きなこと」をしたり

幸せになることへの罪悪感は

捨てたほうが良いと著者は言っています。

好きなものは探すものではない

現代では著者のように子供に親は

「自分の好きなものを見つけなさい」

とさかんに言うようになったと

感じます。

ただ、これは著者が思っている

「好きなことをしなさい」とは

違うようです。

「好きなこと」と言うのは

見つけるものではなく自分の中から

湧いてくるようなものだと

言っています。

子供のうちは情報が少ないゆえ

大人がいろんな情報を子供に

良かれと与えますが

かえって子供は情報があり過ぎて

自分で考える本能が鈍くなって

しまっているようです。

子供はそれに順応できない

ことに悩み、

「ほんとうに欲しいのは何か?」が

わからなくなってしまうのです。

おとなの与えるものが

好きになれないからといって

自分の感覚がおかしいと

子どもたちが不安がることはないよ。

「わたしが人生について語るなら」加島祥造著

まとめます

著者は「老子」の教えに共感を覚え、

翻訳書を出しています。

感性や成り行きに任せるなどを

推奨していて

将来役に立つだろうと計算して

何かをやるとかえって損をすると

言えるのではないかと

言っています。

今、やっていることが目標には

届かないかもしれませんが

それが好きなことなら

次の場面で応用ができたり

また、別の「好きなこと」へ

切り替えることが容易なのだと

言っています。

「好きなこと」に特化して突き進むのには

“苦しみ“も時には伴いますが

安楽や快楽だけを求めるのなら

特定の「好きなもの」でなくても

良いと言うことでそれでは

いつまで経っても「足りを知る」(満足)

ことができないのです。

著者の成功は

目の前の「好き」を行動に移し

時には成り行きに任せた結果なのです。

かえって「目的意識」がない方が

成功するということなのでしょう。

コメント