【老子】「争ウナ」「自カラ足ルコトダ」『タオ』加島祥造著

タオタオ
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今から約2500年ほど前の

中国の哲学者で本書は老子が残した

言葉を現代風に文章に綴り

現在の私たちの生活の中での

争いや無念や焦燥を癒す

ような内容となっています。

紀元前の人の言葉に絆されるなんて

不思議な気分になる本であります。

争わず足りを知る

著者は老子の教えとして

人間のする“行き過ぎ“に警鐘を鳴らして

いると記しています。

近代以来の欧米社会では

所有・自己主張・支配の三つの態度が

優勢になり過度になっている。

「老子」の時代であっても

戦国時代の真っ只中、このような

傾向にあった。

老師はそれを戒めて「争ウナ」

「自カラ足ルコトダ」といった言葉を

よく使っていた。

これらの言葉は21世紀の今であっても

世界全体への警告になっている。

「争わない」、それも力だ

第六八章ではこのような文章があります。

たとえば「人の後ろから行く」と

いうことだがね

ほんとに

経験のある隊長は兵士たちの

先に立って躍りこんだ李しないよ。

本当の将軍となったら、

けっして小さな戦闘なんか

仕掛けない。

このように人をリードしたり

使ったりするひとはかえって

身を低くして、

人々の後からついてゆく。

こうゆう深い行為を、私は

「争わない力」と言うんだ。

この「争わぬ力」で人を用いるとき

人びとのエナジーはいちばんよく流れる。

そしてこれが

道(タオ)のいちばん古くから伝わる

働きなのだ。

「タオ」 加島祥造著

ここで出てくる“タオ“は道という

意味で

たとえば柔道、華道、茶道のような

極めて行くための“道程“のような

意味がある。

本書によると

英語で“Tao“と一語なら「道教」の意味なり

“Zen”のように国際語になっている。

「天の網」とは

天網恢恢疎にして漏らさずという

言葉がある。

それは老子の言葉の一つである。

権力を恐るなと言ったがね、

しかし恐れないでただ勇敢に

やる者は殺されるよ。

あえて勇敢にしない勇気を持つ者が

生きぬく。

とは言え、どちらが

この世を利するものか、害するものか、

人間には言えんのさ。

天ある道の働きが

どちらを嫌うかなんて

タオの人さえ言えないことなんだ。

だいたい天の働きというのは、

ずっとずっと大きいんだ。

それは争いもしないのに

いつか勝ってしまう、

頼みもしないのに、やってしまう。

招きもしないのに

いつの間にか来ている。

ゆったりとしているようで

ちゃんと計画している。

じっさい、天にあるタオの働きは

大きな網みたいなものでね、

目はあらくて、隙間だらけだが

大切なものは何も漏らさないんだ。

「タオ」加島祥造著

悪いことをすると、必ず

人知のい及ばぬところにいる

神様が見ていて罰を与えるという

戒めをこめた言葉がありますが

結局、“あえて勇敢にしない“方が

生き抜いていけるということから

人の“生“というものは自分自身で

どうにかできることばかりで

成り立っているのではなく

人知に関わらない働きが作用して

いるということを言っている。

それゆえに元々人生は

争っても解決しないものである。

まとめます

老子に春秋戦国時代では

領土や覇権を奪い合い

長い間、争いの絶えなかった

時代を生きた“老子“にとって

争いがいかに空く、意味の無いことかを

思い知らされていたことでしょう。

その老子の考えや教えが

2500年の時を経たてても

人々を癒す・諭す言葉となって

いる所以でしょう。

タオ
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