【感想】私は一体何が欲しいのか【無償の愛】『深い河』遠藤周作著

深い河深い河
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1995年に映画化された作品で

当時、

主演の秋吉久美子がガンジス河に

身体をひたすシーンは

神秘的で貴重なものを見た感覚になった

のを覚えています。

あの頃は美津子(秋吉久美子の役)の

気持ちがわからなかったのですが

歳を重ねた?今だったら

美津子の気持ちも理解できるかも

と期待しながら読んでみたい

と思います。

今回は複数の登場人物から

美津子と大津の場合をピックアップして

紹介したいと思います。

大津との出会い

美津子は東京のキリスト教系の大学に

通っていた。

地方からきたコンプレックスがあり

父親に頼み贅沢なマンションに住み

複数の男子生徒を

引き連れて

華やかな学生生活を送っていた。

なのに美津子は胸の底では

何とも言えない怒りとも

寂しさともつかない感情が常に

つきまとっていた。

それらを紛らすために

大津を利用する。

一人の男からその信じているものを

奪う悦び。

一人の男の人生を歪める快楽。

腿に力を入れて美津子は

大津の表情が沈んでいくのを

快感に感じながら見つめた。

深い河 遠藤周作

今まで周りにいなかったタイプで

大学内の教会で祈りを捧げる

大津を誘惑し棄てる。

美津子は加虐的な気持ちで

自分の獲物をみた。

何でもいうことをきく男、

わたしのために神さまさえ

棄てる男、

そんな男だからもっと苛めたい。

深い河 遠藤周作

この時、大津に教会に行くことを

やめさせたことでイエスに勝ったと

いう優越感は味わっていたが

それ以外は大津に対しては

他の男と変わりないのだと悟ります。

大津にとってはこの経験によって

神の声を聞くことができ

ただ、母親に言われたから信仰する

というもので無くなり

自らの望んで神を信頼するように

なるのです。

大津は神父になるためリヨンに留学する

結婚式の二次会で大津は

リヨンの神学校へ行ったことを聞き

新婚旅行にフランスに行き

夫とは別行動で大津に会いに行く。

ママ
ママ

結婚しても相手のことを

これぽっちも考えていない美津子

自分と付き合うために

キリスト教を捨てさせたつもり

だったのに、神学校に行ってるって

どうゆうこと?と思ったのでしょう。

だが両手を拡げ、痩せた無力なあの男は

大津を取り戻していた。

しかし、わたしが勝ったことには

変わりない。

神はわたしが棄てた男を

貪欲にも拾らいなおしたにすぎぬ。

深い河 遠藤周作

結婚したのにも関わらず

やたら大津を意識する美津子。

ここでも、

美津子は大津が自分の空虚感を埋める

何かを持っているのではないかと

期待してしまうのです。

しかし、会ってみると神の話ばかりする

つまらない男だと

思ってしまうのです。

しかし、

以前の大津とは変わっていました。

理解できたのは

このみすぼらしい男が

今の美津子やかつての旧友や

美津子の夫たちの世界とは

まったく隔絶した次元の世界に

入った、ということだった。

深い河 遠藤周作

大津に手紙を書く

美津子は大津に離婚したことを

大津に手紙に書き送ります。

ママ
ママ

なぜか知らせたかったのね。😆

大津からの返事は

美津子が出した住所とは違う土地から

帰ってきます。

リヨンから南仏アルデッシュへ

そしてイスラエルへと大津は

移り住んでいます。

大津の考える神の教えは

善悪がはっきりわかれるものでは

なく、混沌したものであることや

それぞれの国で根付いた宗教との

迎合がなければ基督は布教していかない

などの考え方は教会では

“異端“扱いされ正式な神父には

なれず

それでも自分が思う神のあり方を

求めて、いろんな宗教と国を周り

その地に根付くような布教をしていく。

そのため、あちこちで排除されては

各地を転々としていきます。

そんな生き方を美津子は共感できない

けれども、それゆえに美津子にとって

目が離せない存在なのかも

しれません。

大津がインドにいることを知る

いろんな宗教との関わりを求めている

大津はヒンズー教の聖地の

インドにやってきます。

そのことを知った美津子は今度は

インドに向かいます。

そこでは、人々があちらこちらで

人がたおれ、

死体はガンジス河に流されます。

そのようなひどい階級社会の中で

死体を運んでいる白衣に身を包んだ

大津を見つけます。

そんなインドで生活を

現地の最底辺の人々に溶け込み

暮らす大津の姿を見て

美津子は

大津は完全に神に奪われたと悟ります。

かつては美津子の自尊心を保つための

道具として大津の揺れ動く気持ちを

利用していたのですが

今では神の声のみを聞く大津に

美津子の自尊心は傷つけられます。

思えば美津子は知らず知らずに

大津のあとから何かを追いかけて

いたようだ。

むかし、彼女が侮り棄てた

「醜く威厳もない」

ピエロという諢名の男。

彼女の自尊心の玩具となったくせに

その自尊心を深く傷つけた男を。

深い河 遠藤周作

そのことで今までの過去の過ちを知り

やっと深い悲しみや孤独を背負って

生きている人たちと

自分も混ざることができたことで

自分が何を欲していたか

わかったのです。

罪や悲しみを人並みに感じ

インドの貧しい人々とともに

ガンジス河に浸ることによって

それらを皆と同じように

包み流すことができたのです。

「でもわたくしは、人間の河のある

 ことを知ったわ。

 その河の流れる向こうに何があるか

 まだ知らないけれど。

 やっと過去の多くの過ちを通して

 自分が何を欲していたか、 

 少しだけわかった気もする。」

深い河 遠藤周作

そういいながら、大津を探し

多くののたれ死んだ人たちを

探しては運んでいる火葬場に

目をやり探します。

「信じられるのは、それぞれの人が

 それぞれの辛さを背負って、

 深い河で祈っているこの光景です」と、

(中略)

「その人たちを包んで、河は流れている

 ことです。

 人間の河、人間の深い河の悲しみ。

 そのなかにわたくしもまじっています。」

深い河 遠藤周作

大津を追いかけて

やっと答えが見つかりました。

その大津が最後に美津子に

本当の愛を教えることになります。

日本人観光客の無礼な行動に

首相の暗殺で気が立っている

ヒンズー教徒たちが殴りつけようと

します。

それを身を挺して止めた大津。

彼女は叫び、道を開けさせます。

しかし、大津は瀕死の状態。

その時、

大津は最低地位のアウト・カーストの

友達たちに担架で運ばれながら

「さようなら」

「これで…いい。僕の人生は…これでいい。」

と言い残すのです。

美津子はしゃがみこんで悔やみます。

「本当に馬鹿よ。あんな玉ねぎ

(美津子は神という言葉が嫌いで

 大津に他の言い方をせがみ

 神=玉ねぎというようにしていました)

 のために一生を棒にふって。

 あなたが玉ねぎの真似をしたからって

 この憎しみとエゴイズムしかない

 世の中が変る筈はないじゃないの。

 あなたはあっちこっちで追い出されて

 挙句の果て、首を折って、

 担架で運ばれて。

 あなたは結局は無力だったじゃないの。」

深い河 遠藤周作

物質的な充実や表面だけの

煌びやかな世界に辟易にていた

美津子にとって

大津の行動はいつも本物の愛を

見つけるための

美津子の中の神の教えのような

ものだったのでしょう。

大津は少なくても

一人のどうしようもなく沈んで

しまった女性を救うことはできたのです。

感想・まとめ

一人の男の宗教観に美津子は

知らず知らずのうちに感化され

“無償の愛“の存在に気づくのです。

大津の宗教観は著者のキリスト教への

考え方に通ずるところが

あるのではないかと思います。

『沈黙』でもそうですが

同じキリスト教信者でも

日本ではヨーロッパの教会が信仰する

形ではない信仰となるのは

その土地に根付いている

地母神に影響を受けるからであるため

それらを否定する

ヨーロッパの教会の布教では

本当の意味であらゆる人の救いに

本教はなり得ないということも

メッセージとして伝えたかったのかと

思います。

そいういう点では

『沈黙』よりも本作の方が

それが著明に表されていると

思いました。

深い河
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