【ネット授業】集団での「学校」は必要なのか? 『孤独の価値』 森博嗣著

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学生は学校に通うのは

当たり前ですが最近では

学校に通うのもままならない状態が

起きてしまっています。

学校という集団が

“感染“を広げてしまうためですが

この学校という“集団“はそもそも

どのような意味があるのでしょうか?

本書は

現在、人知れず隠遁?(孤独の研究?)中の

著者が(作家:『すべてがFになる』で

工学博士)

“集団“の意味とその虚構に

ついて独自の意見が述べられています。

現在の学校へいけない

いわゆる“孤独感”を払拭してくれる

ような内容なので紹介したいと

思います。

学校という集団

「学問」は集団で学ばななくても良い

家族以外の“集団“を体験するのは

子供にとっては「学校」となるでしょう。

ある決められた年齢になると

みんな学校へ行きます。(義務教育です)

その中で「集団生活」を強いられるの

ですが

周りと歩調を合わせ、他者に迷惑をかけない

ように気を遣うのは

身勝手な行動を抑制して

将来、集団の中で仕事をしていく

ためのお稽古といったところでしょうか?

しかし、著者は

本来の目的である「学問を学ぶ」こと

については

別に集団で行う必要はないと

記しています。

もちろん、自分以外の人間がどんな

考えなのか

どのくらいの能力なのかを知るのには

“集団“で学ぶことは重要であるのですが

そもそも、覚えたり、練習したり

といった学問における作業は

個別的な活動だから

体育や音楽など以外は

自分一人で奮闘するしかない

のです。

最近では教室の机も一人で一つで

私(昔😆)が小学生の時のように

隣同士くっつけたりしていないのを

見ても、

大勢で集まっていても

学習の効果から考えれば

先生と生徒が一対一になりいやすい

形の方がいいのでしょう。

ネットやモニターでは学校じゃない?

学習効果だけ考えれば

生徒と先生が一対一で自宅へ行き

家庭教師のように教えれば

そちらの方がいいでしょう。

先生の数の確保ができないのが

ネックですが

現在のようにネットを使えばそれは

可能でしょう。

著者は

そうすれば、

「学校」という建物や土地もいらないし

苛めもおこらない。

何より、生徒の学力に応じた

きめ細かい教育ができるし

体力の節約にもなります。

何より安全でもあります。

ただ、そうなると“集団“という体験を

させることができないので

「そんなのは寂しい。」と反発される

ことでしょう。

これからの社会は「集団」を求めない

学校に限らずこれからの

社会も「集団」で顔を合わせることが

必ずしも必要とは限らない

と著者は言っています。

確かにリモートワークなどと言って

会社も必ず出社しなくても

よくなっていますよね。

そう考えると

“集団“を教える必要性がそもそも

なくなってきているという

ことです。

まとめます

“集団“の中でうまくやっていくことが

必ずしも必要ではなくなって

きているのは

確かにあると思います。

みんなで力を合わせて大きなことを

成し遂げることは出来ないのは

今の変わらないでしょう。

人には短所と長所がありそれを

埋め合わないと

大きなことはできないのも

その通りです。

しかし、個別に黙々と頑張っていても

社会に貢献することも

恩恵を受けることもできるのが

現在のスタイルなのでしょう。

やたら、“孤独“を怖がったり

罪悪感を感じることはないという

ことです。

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