「明るい家庭」みたいな言葉の幻想『孤独の価値』森博嗣著

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家族はなんでも言いたいことを

言い合える、

そして、夕食は

みんな揃って同じものを食べる、

休日には家族で出かける、

悩み事は家族には

なんでも打ち明ける、

これらの親子関係をベストだと

考えることは

一般的なのでしょう。

子供を“孤独“にしてはいけないと

かまったりするのも

親子ならそうあるべきなのでしょう。

でも、実際は

そのような「一家団欒」が

かえって閉塞感や鬱陶しさに

感じてしまうことがあるのは

私だけでしょうか?

本書では、そんな

明るくて活発な「明るい家庭」を

虚構なのかもしてないと

記しています。

著者は作家:『すべてがFになる』で

工学博士であるが

現在は、隠遁中(孤独を研究?)であり

その生活の中で感じた

“孤独“にまつわるさまざまな

誤解を一般の生活の中での出来事で

とき解いています。

「暗い」ことはいけないことか?

人間にはいろんなタイプがいる。

親子であっても同じとは限らない。

育った環境も時代も違う。

それだけでも違いができて当たり前。

しかし、多くの親は子供が

「明るい」性格であって欲しいと

願う。

もじもじしてたり、口数が少ないと

「もっと、ハキハキしなさい!」と

言わんばかりに叱咤したり

ため息をついたりしてしまう。

大勢のところ(公園や公民館など)に

連れて行って、子供同士の

触れ合いをできるだけ多くとって

馴染ませようと焦ることすらある。

物静かな感じを子供のうちは

少しマイナスにとられることが

多いと思う。

著者は、明るい人間の方が

“鬱陶しい“と感じることが

多いと言っています。

暗くて何がいけないのかが

わからないと言うのです。

それそれの人に対してどう振る舞うか知る

子供だからはしゃいで当たり前というのは

前提にありますが

著者は

自身の子供に喜んではしゃいでいると

「静かにしなさい」と叱ったことが

あると言います。

そのせいなのか「大人しい子」になった

我が子に対しても

自分(父親)の前ではおとなしく

振る舞う行動は

社会で生きていくためには

役に立ったのではないかと言っている。

それは

それぞれの人に対して

どう振舞うべきなのかを

知る機会になったということなのだ。

相手に合わせて

「明るく」振る舞ったり

「静かにする」ことが必要だと

言うことだ。

部屋の明かりすらあかるすぎる

日本の住宅の全般が“明るすぎる“と

著者は言っています。

昼間は南の窓から

日差しが差し込み、夜は部屋に隅々まで

明るくしている具合です。

このことも「無条件」で明るいことは

良いことで

心まで晴れやかになるという

思い込みからなのではないかと

本書では記しています。

子供にも「孤独」は必要

子供に親の趣味を押し付けるには

よくないと分かっていてもなかなか

うまくいかない。

日曜日になれば、子供とどこかへ

出かけなくっちゃと思うし

子供を付き合わせることは良い

ことと信じ切っている

ところがある。

著者は、時々子供に留守番をさせて

大人だけで遊びにいくのも良いと

言っています。

そもそも、親の趣味に合わせるのも

子供にとっては迷惑でストレスなこと

なのでしょう。

ある程度の“孤独“を味わうのは

子供の情操教育のためには

良いことなのではないのかと

言うことです。

知られたくない領域を持つ

どんな親しい間柄の人間にも

礼儀が必要である。

家族や親子であれば、隠し事があっては

ならないなどは

綺麗事だと著者は言っています。

隠し事なくなんでも打ち明けることは

逆に“「綺麗」ではない

とういうことなのだ。

相手に何を知らせるのか

情報をどこまで共有するのか

ということを考えて選択する

ことこそ

本当の優しさであり

綺麗な心であるということです。

まとめます

本書は“孤独“について肯定的な

考えを記したものですが

性格も振る舞いが

「社交的」とか「明るい」というより

相手に対して使い分けれることが

重要だということです。

人と交わることは

「楽しい」「安心」「明るい」など

いろんな良いことがありますが

その以上にこれほどの配慮を伴う

ストレスのかかることなのだと知り

長生きしたければ

“孤独“を選択しなければならないと

思ってしまった。😆

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