【登校拒否】学校って楽しいのか?『孤独の価値』森博嗣著

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学校へいくかぎりは

学校という「集団」にいかに馴染むかが

子供もその親も共通の使命の

ようになっています。

やはり、子供が成長した時に

社会に出たときに「集団」に馴染むことは

重要な素養だと

硬く信じています。

ゆえに子供が学校から帰ってきた時

楽しそうに学校の話をしてくれてば

親は「うん!狙い通りうまくいってる」と

嬉しく安心できるのですが

一度、「楽しくない」なんて言って

玄関から力のない

「ただいま」を聴こうものなら

大ショック‼️です。

著者は言います。

「そもそも、学校って楽しいものですか?」

確かにもしかしたら

学校が「楽しい」なんてことは

虚構なのかも知れません。

作家:『すべてがFになる』で

工学博士の著者は

現在、隠遁中(孤独研究?)であり

その日々の中で“孤独“について

書かれた本書には

この親子の心配を少し癒す

内容が紹介されています。

学校はそもそも楽しいところなのか?

年頃になれば

今の子供は親を心配させまいと

「学校は楽しい」「友達ができた」と

いうかも知れません。

まあ、それを見抜く親もいますが

見抜ける、見抜けないという

問題ではなく、

そもそも「学校が楽しい」と

思っていることが問題なのではないかと

著者は言っています。

1年の初めは何もかも新鮮で

そこそこ面白いかも知れませんが

学年が進むと

勉強ができる子、ついていけない子

などの差も出てくるし

テストでは如実に点数が書かれたものを

見て優劣に晒される。

時には遊ぶのも我慢して

しなければならない宿題もある。

何か失敗したらみんなの前で

恥をかくこともあるし

叱られたりすることもある。

仮に勉強はできても

体育は全然できなくて憂鬱になったり

苦手な科目でもその時間は

逃げることはできず耐えなければ

ならない。

これだけ考えても不自由で憂鬱です。

本当は勉強は辛いもの

子供も学校生活を続けていく中で

「おや?なんかお母さんが言ってたのと

違うぞ。」と

思うようになってくる。

先生や親もそういう子供の気持ちを

察して

「楽しい算数」「やさしい理科」みたいな

面白く演出してみたりしても

ネーミングばかりで

どうしたって興味も面白みも

湧かないのが現状です。

「勉強は辛いもの!でも我慢して

やらないといけないこと!

そうすれば、後から良いことがある」

的な説明もなかなかできない。

「楽しくない」ことを恐れる気持ち

なぜ、はっきり

「勉強は辛いもの!」と正直に

言えないか?

それは、「楽しくない」ことを極端に

怖がる精神があるせいだと

著者は言っています。

それは“孤独“を恐れることと

似ています。

これらに正直に反応して

“登校拒否“となって現れる子供も

います。

もともと、学校へ通うことを

高尚と美化したところがあり

自分の感じていることと現実は

違うことから自分を責め

「自分が悪い」と思い込んでしまう。

子供には

誤魔化さず

「学校とは大変なところなのだ」と

伝えておく必要がある。

子供たちが楽しんで勉強できる工夫も

大切ですが

どうしても“集団“では

それが叶わない子供ができると

いうことは

親子で覚悟しておかなければ

なりません。

楽しくなくて当たり前なのです。

ゆえに、「楽しくない」のを過度に

恐れることはないのです。

まとめます。

子供も親も学校で楽しめないと

なんとなく

後ろめたいというか

罪悪感を感じることになるのは

学校が「楽しいところ」という

前提があるから

そう思えない自分は「ダメなんだ」と

思ってしまい

学校へ行くのも怖くなることになる。

もう前提から、

「苦労にして学ぶところ」だと

思っておくことが大切なのでしょう。

確かに、自分の子供の時を

振り返ってもサバイバル感がありました。😆

学習以外でも

大人になって社会に馴染むように

集団生活をしている側面もありますが

大人になってからの

社会の方が最近では緩いように

思います。

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