【感想】蜘蛛の糸はなぜ切れてしまったのか? 蜘蛛の糸 芥川龍之介著

芥川龍之介蜘蛛の糸
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この短編の主人公、犍陀多(カンダタ)は

人を殺したり、家に火をつけたりと悪事を

はたらいていた、とんでもない男だった。

しかし、小さな蜘蛛が側に来ても

それを踏み潰さなかった。

それを極楽から見ていた

お釈迦様は、地獄に落ちたカンダタを

助けるために

『蜘蛛の糸』を御下しなさいました。

蜘蛛を踏まなかったカンダタ

あれほど、人様には酷いことをしていた

カンダタにも関わらず

1匹の蜘蛛には

慈悲をかけることができた。

「いや、いや、これも小さいながら

命のあるものに違いない。

その命を無暗にとると云う事は

いくら何でも可哀そうだ」

蜘蛛の糸 芥芥川龍之介著

蜘蛛に対してはこんな気持ちに

なれたのだ。

今までの悪行には何か理由があって

やってしまった事かもしれない。

だって、なんの罪もない蜘蛛には

慈悲をかけることができる

人物だから…

極楽からの銀色の蜘蛛の糸

お釈迦様はカンダタに良いことをした

報いを与えたいと考えていると

側に蜘蛛が1匹糸をはっていたので

蓮の葉の間から

その蜘蛛の糸を下します。

お釈迦様の優雅な振る舞い感が

出ていますね😆

蜘蛛の糸をつかんで登る

自分のところへするすると垂れてきた

蜘蛛の糸を見つけたときは

どれほど嬉しかったでしょう。

そして、両手で掴み一生懸命

上へと登っていきます。

しかし、極楽までは何万里もあり

一気に登っていく事はできません。

一休みしていると

他の罪人たちもその糸につかまって

登りはじめました。

蜘蛛の糸、カンダタのところで切れる

カンダタの後から

何千もの罪人が登ってこようとして

糸にぶら下がっています。

糸が切れてしまったら

大変だとカンダタは下にむかって

叫びます。

「こら、罪人ども。

この蜘蛛の糸は己のものだぞ。

お前たちは一体誰に尋いて

登って来た。

下りろ。下りろ。」

蜘蛛の糸 芥川龍之介著

その途端、カンダタのぶら下がっていた

ところから

ぷつりと糸は切れてしまいました。

そして、カンダタは地獄に落ちて

いきました。

叫んだ途端、切れたのですから

それまで持ち堪えていた

この糸自体の耐久性は

そこそこあったのでしょう。

関係のない罪人だけ落としたければ

カンダタの足元で糸が切れても

いいんじゃないかと思いましたよ

個人的には…

お釈迦様は、単にカンダタを

助けたかっただけでなく

試していたのです。

蜘蛛を助けた“慈悲の心“が

本物なのかを…

何故、蜘蛛の糸は切れてしまったか

悪事を働き、地獄へ行ったカンダタの

一縷の慈悲の気持ちを知り

今までの悪事には理由があったに

違いないと

お釈迦様も救いの手(糸)を

差し伸べたのですが

やはり、最後には自分さえ助かれば

良いという

「保身」の気持ちが露呈してしまい

糸もカンダタの足元で切れるのでは

なく、カンダタの手元から切れて

しまった。

今までの罪も「仕方なく」ではなく

「保身」や「身勝手」「欲」から行ったことだと

お釈迦様は今のカンダタの態度を見て

わかってしまったのでしょう。

糸は重みに耐え切れず切れた

のではなく

カンダタの無慈悲な心をあからさまに

見てしまったお釈迦様の

蜘蛛を助けたカンダタに対する

一縷の期待が喪失し脱力してしまった

ためなのでしょう。

しかし極楽の蓮池の蓮は

少しもそんな事には

頓着致しません。

蜘蛛の糸 芥川龍之介著

カンダタにとっては

せっかく頑張り後一歩という

ところでまた、元の地獄に戻って

しまったり

お釈迦様が悲しい顔をなさっても

糸を垂らした極楽は

痛くも痒くもなくそこに

存在している。

こんなことから、

助けを示す方の「気まぐれ感」も

感じる作品でもありました。

蜘蛛の糸
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