相手の自己評価の低いところを褒める『人を動かす』D・カーネギー著

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人を活動的にさせるために

その相手を“褒める“ことが有効だと

いうことはよく知られています。

「褒めて、伸ばせ!」です。

しかし、褒め方によっては

お世辞になったり、本人に媚びているような

印象を与えるようなことにも

なりかねません。

本書では“お世辞“と“感銘“の違いや

どのような“賞賛“が効果的なのかが

示されれていますので

紹介します。

自己の重要感に対する欲求

まず人間は

他者から“重要人物たらんとする欲求“は

根強い衝動としてあり

この欲求は人間を動物から

区別している主たる人間の特性だと

アメリカの哲学者のジョン・デューイ教授が

言っています。

このことを少し深掘りしていきます。

人間は誰しもお世辞を好む

本書に引用された

リンカーンの書簡に

「人間はだれしもお世辞を好む」と

ありました。

また、

心理学者のウィリアム・ジェームズは

「人間の持つ性情のうちでもっとも

 強いものは、

 他人に認められることを

 渇望する気持ちである」と言っています。

それほどまでに賞賛は

人の心を絶えず揺さぶるものだと

著者は言っています。

なので、他人のこのような

心の渇きを正しく満たしてやれる人は

他人の心を自己の手中におさめることが

できるということです。

お世辞と感銘の違い

この二つの違いがわからないと

逆に

浅薄で利己的で誠意のかけらもない

言葉をかけることになり

通用しないどころか相手を不快に

させて、

やる気を削いでしまうことに

なるでしょう。

著者はこう言っています。

お世辞と感銘のことばはどうちがうか?

後者は真実であり、前者は真実でない。

後者は心から出るが、

前者は口から出る。

後者は没我的で、

前者は利己的である。

後者はだれからも喜ばれ、

前者はだれからも嫌われる。

『人を動かす』D・カーネギー著

これは明確でわかりやすい区別です。

この“だれからも嫌われる“のだけは

避けたいものです。

賞賛に対して警戒心を持っている

「敵は恐るるに足らず。

 甘言をろうする友を恐れよ」という

言葉通り、人の甘い言葉に対して

警戒心を持ってしまうことが

あります。

そのことも、人を褒めることに難しく

させるのです。

「安価な賞賛」お世辞の定義

「相手の自己評価にぴったり合うことを

 いってやること」

これがお世辞の定義だと著者は言っています。

と言うことは“賞賛“とは

「相手の自己評価していないところを

 いってやる」と言うことでしょうか。

「自己評価の低いところを褒める」

ということでしょうか。

これは確かに頷けます。

先日、友人に

「あなたの〇〇が凄い!」と感銘して

伝えたら、

「そうでしょう!」と嬉しそうに

ドヤ顔で答えられた時、

なんかがっかりしたことを思い出しました。

これは“賞賛した側“の感情ですが

なんか“お世辞“をいったような気分に

なってしまったからかもしれません。

「自分で言うか〜」とたしなめると

「自分ではそんなこと思ってないよ」と

言う返事が返ってきました。

恥ずかしくって照れていたため

「そうでしょう!」と

返答したと言うことがわかったのですが

このことからも

“自分が予期しないこと“を褒められると

人は本気で賞賛されたと捉えるのだと

本書を読んで思いました。

お世辞でも“渇望“している偉い人なら

通用するのでしょうが

一般的には“お世辞“だったら

言わないほうがましとうものでしょう。

どんな人にでも本気で褒めるところがある

エマーソンの言葉を引用して

「どんな人間でも、わたしよりすぐれている。

 わたしの学ぶべきものを持っていると

 いう点で」。

『人を動かす』D・カーネギー著

とても優秀な人にとっても他者は教えを乞う

存在であるのなら

凡人の私たちなら尚更です。

著者は自分の長所、欲求を忘れて

他者の長所を考えようといっています。

そうすれば、

お世辞など全く必要でない

嘘のない心からの賞賛を与えることが

できるのです。

相手はそれを心の奥にしまい込んで

終生忘れないことでしょう。

与えた本人が忘れても

受けた相手は、

いつまでも忘れないで慈しんで

くれるような賞賛となると著者は

本書で言っています。

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