【子供を動かす】小言が言いたくなったら『人を動かす』D・カーネギー著

人を動かす
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親として良かれと思って半分“義務“のように

子供に小言を言ってしまうことが

あると思いますが

この小言で子供の行動が変わることは

ほぼ、ないのです。

本書に引用されている

父親の心情を綴った一文は

そんなジレンマがどうして起こって

しまうのかがわかるヒントが

書かれているので紹介します。

注文の多いお父さん

息子に対して要求が多くなりがちなのが

父親のようですが

それがダイレクトに思ったこと

口に出していると

子供の行動に何の変化ももたらすことが

できないようです。

本書の『人を動かす』を読んでみると

そんな子供に対して要求の多い

父親が息子に対してどう接するのが

良いのかがわかってきます。

父は忘れる

父は書斎で新聞を読んでいたら

急に悔恨の念に苛まれ

幼い息子の部屋へと行って

寝ている姿を眺めています。

この父がひどく後悔していることは

息子に対して

「顔をちゃんと洗え」

「靴を磨がけ!」

「持ち物を床に放り投げるな」

「食事をこぼすな」

「丸呑みするな」

「テーブルに肘をつけるな」

と怒鳴ったり

地面に擦り付けて

穴だらけになった靴下を見て

「その靴下は高いのだ。

 お前が自分で金を儲けて買うんだったら

 もっと大切にするはずだ」

言ってしまったことでした。

それなのに

こんなことを言われた夜に

息子は悲しげな目をしながら

父親の部屋を訪ね、

父親に「何の用だ」と怒鳴られても

何も言わずに父親の側に駆け寄り

両手を父親の手に巻きつけ

父親にキスをしました。

父親は思いました。

どんなに蔑ろにされても

決して枯れることのない愛情を

持ち合わせている息子に対して

何という習慣に取り憑かれて

いたのだろう!

叱ってばかりいる習慣が自分には

ついてしまっているのだと

気がついてとても不安な気持ちに

なっている様子を

書いたアメリカ・ジャーナリズムの

古典の一つと言われている

『父は忘れる』という一文を要約した

ものです。

“子供に対して小言が多いと感じた時

子供に対して小言が多く

その割には子供に変化はなく

自責の念ばかり抱いてしまう人には

これを読んでみることを

著者は進めています。

これはある瞬間の誠実な感情に

動かされて書かれたものなのですが

この父親は決して息子を

愛しいいないわけではないのですが

“まだ子供である“ということの

配慮ができてなかったのです。

“大人と同列で考えていた“という

ことです。

この父親は侘びるかわりに

明日からの態度を改めるという

決意表明のために寝ている息子に

会いに行ったのです。

息子が父親に抱きつきキスをしたことは

こんなに頑に自分は正しいことを

やっていると思い込んでいた父親に

悔恨の念を抱かせ

明日からの行動を変えさせたのです。

父親に対して

反抗したわけではないのに

「まだ、子供だということを

 常に忘れないように」という

意識を父親に

植え付けることができたのです。

これが逆に大人が子供にできたら

今度は子供が変わることでしょう。

例えば、勉強に身が入らず

机の上が教科書やノートが散乱していても

「こんなことで勉強できるのか!」と

怒鳴るのではなく

そっと何も言わず

机の隅に整理しておいてあげたり

学校や塾へ行くのに忘れ物をした時

「筆箱も持たず勉強なんかできるのか!」

などと成績が伸び悩んでいるときは

つい息子の呑気さに腹が立って

筆箱を投げつけたくなる時があっても

黙って、

玄関で靴を履いている息子に

そっと筆箱を渡してやる方が

ずっと子供の意識を変えることが

できるのだと

本書のこの部分を読んで感じました。

全てを知れば、全てを許すことができる

人を非難するかわりに、

相手を理解するように努めようではないか。

どういうわけで、相手がそんなことを

しでかすに至ったか、

よく考えてみようではないか。

そのほうがよほど得策でもあり、

また。おもしろくもある。

そうすれば、同情、寛容、好意も

おのずと生まれてくる。

『人を動かす』D・カーネギー著

ここでは、親心で子供を批判したり

非難したりしても

子供の心を動かせないだけでなく

親の方が後悔したり、

自責の念を抱くだけだ

ということがわかります。

親子の関係は尊いものですが

それでも子供を良い悪いと裁く

ことはできないのです。

「神様でさえ、人を裁くには、

 その人の死後までお待ちになる」という

英国の文学者ドクター・ジャンソンの

言葉を引用して

著者は

この章を締めています。

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