②見た目主義の到来『いつまでもデブと思うなよ』岡田斗司夫著

いつまでもデブと思うなよいつまでもデブと思うなよ
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家柄でもない、学歴でもない

収入でもない今は見た目の印象を

強く打ち出す「キャラ」がその人の

評価を決定付けてしまうそうです。

著者は117キロあった「デブ」という

キャラからの脱出のためダイエットを

成功させています。

一度付いた「キャラ」の変更はとても難しく

著者にとっては痩せる方がその他の

努力よりキャラ変が容易だった

ようです。

ファースト・ラベルの変化

ある時代でもっともメジャーな

価値観にそった格付け情報を

「ファースト・ラベル」と呼んでいます。

ファースト・ラベルというのは

「一番上の看板」という意味だそうです。

“学歴“が最も信頼に足る基準の時代

つい30年前まで

日本は「学歴主義社会」だったのです。

中卒か高卒か、大卒なのか

どこの大学を出たのかといった

ことが客観的評価として

重要視されていた。

学歴の高い人が志も高く、

勤勉で真面目な人間とされていたし

それを根拠に生活レベルも

それに準ずるものと期待されていた

からです。

学歴社会主義以前は家柄主義社会

身分制度が固定化されていた

江戸時代まで、明治維新が過ぎても

士族や華族という身分は遺され

家柄主義は受け継がれましたが

この“出目“が人間の価値を表す

最も信頼に足る基準だったのです。

また、本家、分家、長男、次男

正妻の子か妾腹の子か今から思えば

どれだけの階層があるのかと

思いますが

教育や教養についても

その身分が高いほど良い環境が

与えられるため

あながち偏見や先入観だけでは

ないと著者は書いています。

しかし、それも明治中期以降に

力は弱まります。

個人を重視する時代

家・一族よりも個人的なスペックを

重視する価値観の変化が

「学歴主義社会」を生んだのですが

20世紀後半になると

“学歴“がオールマイティーのカードで

なくなったのは

いうまでもありません。

確かにそこそのの効力はありますが

ファースト・ラベルではありません。

“追加情報“だと著者は書いています。

ブランド主義・バブル時代

家柄・学歴ではない現代の価値観は

安定した収入や地位よりも

本人の自由にできる財力や

自由な時間、

経済や時間の「自由度」や

「収入の高さ」を証明するブランド品を

所有することが価値となって

いる時代、いわいるバブル時代です。

それも2007年には衰退して行きました。

自分の気持ち至上主義の到来

ブランドに頼らない

「自分のセンス」

「自分の好き嫌い」を大切にする

価値観が浸透し始めたのだと

著者はここで示しています。

「いま・ここ」での感情が何より

優先されるということで

「いま・ここで」の自分の気持ちに

忠実なのが英雄化されたり

その気持ちを突き通してこそ

「自己実現」であり「勝ち」になる

としている。

「だって、そう思ったんだもん」という

「主観」が客観情報より価値があると

する風潮なのが最近なのです。

この主観を形成するのが

「見た目の印象」なのです。

ビジネス社会の「見た目主義」への移行

就職戦線で勝ち抜くため

履歴書の写真を修整し

人事や役員クラスに明るく前向きな

印象を与えるような工夫を凝らし

眠そうな一重まぶたたら二重に

整形する男性もいるという。

就活だけではなく

現場においても企画書においても

変化がある。

ひと昔前なら

「ワープロには中身がない。手書きで!」と

言われていたのに最近では

「手書きでは読む気がしない」と

言われる始末。

企画書の「見た目」を整えることを

中身より優先させていることもある。

パワーポイントを使い

プレゼンテーションを可憐にこなすのが

「仕事ができる人」の第一条件だと

著者は示しています。

集客も視聴率も見た目・印象の

人気で左右されている。

政治家も明らかに見た目スッキリ

やイケメン風が当選しやすくなって

いるように感じはあるでしょう。

見た目・印象社会を表す言葉に

「キャラクター」というものがある。

例えば、“太っている“なら

「大食い」「だらしない」「運動嫌い」

「明るい」などのキャラが立つようです。

というわけでこの「キャラ」とは

どのように付けられるのでしょうか?

見た目・印象で決まる

これは、見た目・印象主義社会なので

あるからそうなのでしょう。

見た目が優先されるのです。

一度付けれるとキャラ変は難しい

一度当てはめられたキャラは

常にそのキャラ通りの行動や言動を

期待されるためなかなか変えることが

難しいようです。

そうでない言動は「あなたらしくない」と

評価されない時もある。

著者も自分が117キロあることが

さほど自分の仕事に関係ないと

思っていたのですが

この「デブ」というキャラには

大食いというだけではなく

「だらしがない」や「明るいけどバカっぽい」

「人付き合いが悪い」などの

強い印象の前に中身が霞み

本来の例えば著者でいうところの

“物書き“ “知的“ “評論“などの

イメージは消えてしまうのだ。

本を出すときもどんな知的な表題を

付けてもそのような内容なのかと

疑われてしまうということなのだ。

見た目キャラ付けで中身まで

評価してもられない。

このキャラに期待されるのは

グルメ本なのだからという

ことになるということなのです。

そして、知的な職業でグラマラスな

女性なら能力を低く見られるかも

してないし、教師や営業なら

温厚で明るいフットワークの軽そうな

印象がもてはやされるに違いないのです。

見た目と職業が合わない場合

仕事上の評価まで

下がってしまうことも

この見た目至上主義では

あり得る話なのです。

著者は「デブ」のキャラは

得する職業がほとんどないと

本書で示しています。

まとめます

人はいろんなことでレッテルを貼られます。

本書で書かれたのは

「太っている」ことでの見た目で

貼られるレッテルについてでした。

そのことが本人が思うより

影響があったということは

50キロのダイエットに成功した

ことで気づいた事のようです。

それだけに見た目の重要さを

訴えた内容には共感を持てたのです。

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