②天才ではない人間はどう生きるのか『凡人として生きるいうこと』押井守著

凡人として生きるということ凡人として生きるということ
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映画監督の著者は

数々の作品を世に生み出し

高い評価を得ています。

しかし、本人は「才能」ではないと

本書では書かれています。

では、

一体何が著者を世界に押し上げた

もでしょうか?

それは“オタク“的思考なのです。

それは「美学」というものが

関連しています。

紹介したいと思います。

僕もあなたも天才ではない

「才能」だけでやっていけるような

天才と言って思い浮かぶのは

レオナルド・ダ・ヴィンチや

モーツァルトやミケランジェロが浮かんで

きますが

長い歴史の中でも極めて稀にしか

現れない特異な人という

イメージでしょう。

それでは、その道で成功した人は

“天才“ではないのに

どうやって人に認められるような

仕事ができるのでしょうか?

映画監督という仕事

著者は自分には特別な「才能」があった

わけでもないのに

映画監督という立場を得て

自分の作品に他の人が触れる

機会が与えられたのは

“映画“が好きで

それに飽きることもなく

情熱を最後までなくさなかった

からだと記しています。

しかし、

この“飽きることがない“と

いうことが著者にとっての「才能」で

あり演出や脚本とかの特別な才能が

ありわけではないのです。

著者は

26歳でアニメーション・スタジオに

絵コンテを持ち込み評価され

演出家になりましたが

それは今まで見てきた映画の場面を

忘れず、

自分だったらこうするなどを

書きつけているうちに訓練されて

絵コンテを切ることができたのであって

決して

雪舟のように習らってもない絵を

スラスラ書けたわけではないのです。

才能は眠らない!

いや!しかしもしかしたら

「才能」が眠っているだけで

まだ、開花していないだけかも

しれないと考えている人は少なからず

いると思いますが

著者は才能がどこかに“埋まっている“

とすれば

それは必ずひとりでに輝きだして

埋もれるのを拒むはずだと

記しています。

故に、

誰からもその事を指摘されないのは

その才能の持ち主である可能性が

ゼロと同じなのです。

天才ではない人間はどう生きるのか

それは「情熱をもち続けること」しか

ないと著者は書いています。

ある意味、

“オタク“がそうであるのでしょう。

あまり良い意味に取られないのですが

寝食を忘れて打ち込むという点で

天才ではない自分たちは

必要なことなのです。

『名もなく貧しく美しく』

この言葉に天才でなくてもこの世を

渡っていく術があります。

それが「美学」「美意識」と本書では

書かれています。

例え話として、何代も続く唐辛子の配合は

一子相伝、外部には決して漏らしては

ならないと厳格に管理された

唐辛子はさぞ、美味しいでしょう。

しかし、それがなくては生活ができないか

と言われれば

そんなものでもないのです。

映画もそうでなくても生きていける

ものです。

それが金儲けや農作物のように

誰もが必要としているものを

作っているのとは違うところで

これに没頭しても

“オタク“にはなれないのです。

そこには自分だけの価値観があり

美意識を持っている必要があり

それゆえにどこまでも

極めていくことができ、やがて、

じわじわとそれらの理解者が現れ

それが一つの価値を作り出すことが

できれば、

“天才“である必要はないのです。

まとめます

人間は生きていく上では、

何の役にも立たない技術に見えるかも

しれないがそんなものが案外

この世の中を豊かにしたり

何かの突破口になったりすると

著者は記してします。

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