自由とは不安を甘受すること『アメリカンインディアンの教え』加藤諦三著

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自由に好きなことをして生きていくのは

誰にとっても人生において

もっとも大切なことです。

いくらお金持ちになろうが

人から権力者と呼ばれようが

好きなことをして

自由に生きること以外

幸せになる術はないと

言っても

過言じゃないでしょう。

そのように「自分らしく」を

テーマに書かれている

本書の一部を紹介します。

白鳥は綺麗に鳴かなくてもいい

心理学者シーベリー博士の

言葉を引用しています。

自分でない自分になるくらいなら

悪魔になった方が

ましである。

「アメリカンインディアンの教え」加藤諦三著

「努力すればできるのだ」と

自分に言い聞かせて頑張って

なんとか世間の人が認めるような

形になったとしても

実際の自分を偽って人に認められても

どこか“劣等感“に苛まれます。

これでは

いつまで経っても自信などつきません。

もともと人間は一人一人違うのです。

それを比較して優越感を持ったり

劣等感を持つこと自体が

愚かなことだと著者は書いています。

白鳥は姿形が美しいのであって

綺麗な声で鳴けなくてもいいのです。

自分の人生は誰のものでもない

自分は自分、他人は他人ということが

感じられる人が

心理的な大人であると著者は書いています。

そうすると、

人から傷つけられることが

なくなります。

他人が自分のことをどう思っているか

が気になることが

人の傷つく原因なのでしょう。

鶏のように育った鷲

日本では『自己実現への道』

(深沢道子他訳・社会思想社)

という表題の本を本書で紹介をしています。

森で鷲を見つけたその男は

それを捕まえて鶏と同じ餌を食べて

暮らし

鶏と同じような行動をとるように

なっています。

ある植物学者は「これは鷲だ」と

主張しました。

飼い主は「鶏と同じように育ったので

鶏と同じように訓練され

空を飛ぶことを

教えられてない「鷲」は飛べない

鶏と同じだと飼い主が言います。

そこで植物学者が

飛ばそうとしますが「鷲」は

当惑にているので

鶏と一緒になろうとします。

それでも根気良く屋根の上や

山頂で「お前は天の者だ!」

と言いながら放ちますが

とうとう雄叫びをあげて

大空に飛んで行きました。

未知の自分の世界と未知の世界に

恐れをなしているのです。

自分の知らない世界への恐怖

自分が知らない未知の世界は

怖いもので不安が高くなります。

他人の意志に従い自分らしくない

人生を選ぶのはその恐怖から

逃れるたためなのかも知れません。

他人に意志に従って生きていると

自分でいざ決めなくてはならない

場面でも不安が付きまといます。

「自由」とは不安を抱きながらも

勇気を持って行動することなのでしょう。

この話の鷲も未知の自分・世界が

恐怖であり不安だったので

いくら放とうとしても

「鷲」は鶏小屋に

帰ってきてしまします。

親が「鷲」を鶏に育てる

親も自分の知らない世界に

子供を行かせるのには

不安があります。

博物学者に飼い主が

「鷲」だと言ったことが

「鷲」の救いの神だったことでしょう

このまま飼い主の飼われていたら

鶏のまま、自分らしさを失った

人生だったことでしょう。

親の知らない世界に子供を

飛び立たせるには

子供よりも親が未知に対しての

恐怖を捨て

この博物学者のように我が子を

「鷲」だと見破らなくては

ならないのでしょう。

そして、自分らしさを取り戻し

自由となった時の

不安感はあって当たり前だと

いうことを知った上で

自分は自分、他人は他人、

親は親と自分に確認できると

その不安は乗り越えて

行けるのでしょう

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