【感想】ひたすらノスタルジーに浸る 『銀の匙』中勘助著

銀の匙銀の匙 中勘助
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虚弱だった少年の日常を

繊細に描いた作品で

明治時代末期〜大正時代に活躍した

著者が書いたものですが

現代の私たちの子供時代を

思わせる作品で

読んでいくうちに懐かしさで

ほろりとなる場面に出くわす

ことになりました。

その一部を紹介したいと

思います。

銀の匙

冒頭でこの銀の匙がどのような

ものだったかを説明しています。

それはさしわたし5分ぐらいの

皿形の頭にわずかにそりをうった

短い柄がついているので

分あつにできているために

柄の端を指でもってみると

ちょっと思いという感じがする。

「銀の匙」中勘助著

確かに

実際銀の匙はどこかステンレスの

一般的な匙とは違い

重みがあり

何か貴重なもののように感じられます。

主人公の少年が見つけた時

銀の匙にまつわる思い出を

母親は聞かせます。

病弱だった少年は

それまた産後の日だちが悪かった

母親の代わりに未亡人で少年宅に

身を寄せていた伯母が

その匙をどこからか見つけてきて

少年の口にお薬を飲ませていた。

ここから物語が始まるのです。

簡単なあらすじ

信心深い伯母が身体の弱い母に代わって

幼い“私“を世話してくれる。

伯母は慈悲に溢れた優しい人。

夫と死に別れ、私の家にやってくる。

身体の弱い私を庇いながらも

様々な経験をさせようとしてくれる。

日常のお買い物だったり

お寺にお参りをしたり、縁日に行ったり…

そして、同じような年頃の子供との

ふれあいも

身体が弱いせいもあるのか

積極性に欠けたため、

叔母がうまく取り持ち、

友達との触れ合いの中で

いろんな感情を私は学ぶことになる。

このように私にとっては

「叔母」は確かにキーパーソンなのだが

「叔母」の人柄や「叔母」との思い出が

物語の中心ではないのです。

純粋に私という幼い少年が

どのような

感情を揺れ動かしながら

成長していったかが語られている

物語なのです。

(解説には、著者の自叙伝的のものと

 書かれていますが…)

母を恋しく思う気持ち

叔母に配慮されて暮らす「私」は

母を恋しがり寂しい気持ちがないように

終始読んでいたのですが

少し、叔母にはない母の愛情を

求めていたのではないかと

思わされるところがありました。

沙羅双樹の梢に棚引いた雲のうえ

から美しい人が見下ろしているのは

摩耶夫人といってお釈迦様の

お母様だという。

その摩耶夫人が天から投げた薬の袋が

沙羅の枝にかかってるのを

誰ひとり気がつかないのだなぞと

お釈迦様の涅槃を親にでも

わかれるようにいってきかせるので

私はお釈迦様がかわいそうになって

泣いた。

「銀の匙」中勘助著

自分を“お釈迦様“の立場のように

思ったかも知れません。

母の愛情を受け取ることが

できない「もどかしさ」があったかも

知れません。

最初のお友達はお国さん

初めのうちは、叔母さんがついて

いなければ遊べなかった私ですが

お国さんと話すうちに

痩せっぽちを気にしているところで

自分と重ね、親しみをもち

友達となっていきます。

そうやって叔母や家族の世界から

“子供同士“の世界へと移行して

いくのですが

まずは、子供たちと仲良くなり

うまく少年がうまく遊べるように

耳打ちにて“根回し“している叔母の姿や

少年より大きな子供たちを

すぐに負かしてしまう自分を

誇らしげに家族に話す少年を

家族みんなが「えらい えらい」と

褒めることに違和感を覚えなかった

少年の純粋さや叔母を含む家族の

愛情には

私自身の幼かった頃を

思い出させる場面で胸がキュンっと

したところでした。

そうやって、

子供にはわからないところで

大人は愛情を示しているにでしょう。

そのことを著者はうまく

“一人称“で読者に伝えているのは

この作品の特徴でもあり

素晴らしいところだと私は思います。

嫉妬と憤怒を知る

学校へ行くようになってできた

お友達として「お惠ちゃん」が登場します。

お国さんは引っ越ししてしまったので

お惠ちゃんは唯一の友達らしい

友だったのです。

そこへ、餓鬼代償の「富公」が

引っ越ししてきます。

歳が2、3上で力も強いため

たちまち権威を振りまかれ

少年はひとり仲間外れのように

なってしまいます。

しかし、家が近所だったので

富公は学校から帰るとよく遊びにきました。

惠ちゃんと遊びたいのに…

それを見ていた惠ちゃんは

もともとおてんばだったので

すぐに3人で遊ぶようになります。

如才ない富公は

お嬢さん お嬢さんと機嫌をとって

さかだちをしたり、筋斗がいりをしたり、

いろんな芸をやってみせる。

そんなことの大好きな

お惠ちゃんは富ちゃん 富ちゃんと

彼のあとばかり追ってあるく。

叔母さんひとりの手に育てられて

お国さんとばかり遊んでいた

私は修行がつまないので

とてもそんなはなれわざはできず

器量わるくも富公がこの少女王の

寵幸をほしいままにするのを

指をくわえて見ているほかは

なかった。

「銀の匙」中勘助著

大袈裟にもとられるような表現ですが

子供の思考や感情をありのまま書かれて

あるのがこの作品の魅力なので

読むと

どこか懐かしく感じてしまうのは

そのせいなのでしょう。

少年としては大きな成長過程の一つに

なる出来事なのです。

それからお惠ちゃんは少年と距離を

置くようになります。

富公は少年と遊ぶことを禁じたのです。

富公が意地をつけたのだ。

そう思えば私は小さな胸に

煮え変えるほどの

嫉妬と憤怒をおこずには

いられなかった。

「銀の匙」中勘助著

のちに仲間外れを扇動する富公との

交友を母親に禁止されたお惠ちゃんは

怒りながら富公とは合わないと

少年との交友を再開する。

こんないざこさも私たちが小さい頃には

よくあったこと。

その時は

生きる死ぬくらい思い詰めていた

出来事でも

大人になったら爽やかに笑い飛ばし

どこか切なくなるような

感覚になるような感情を

この作品は思い出させます。

感想

銀の匙で苦い薬を少しずつ少年の口へ運ぶ

そして

口から喉へ喉から胃腸へそして

全身に幸せが運ばれるようにと

祈るような叔母の気持ちが

このひと匙に込められていたかと

思われる。

そのことが少年の人生を慈悲に守られた

ものにしていったことの

象徴として『銀の匙』は相応しいのでは

ないかと思いました。

琴線を震わすような

感情を揺さぶられるような

そんな作品ではないのですが

ひたすら懐かしく

そして暖かい感情を思い出させてくれる

作品であります。

なぜか読み終わった後に

涙が出てしまいました。

(悲しいお話では全然ないのに😂)

銀の匙 中勘助
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