【感想】李徴が虎になった理由 『山月記』中島敦著

山月記山月記
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教科書にもよく出てきて

馴染みのある『山月記』。

ある妻子ある公務員が出張先で虎に

なってしまい家に帰れなくなる。

翌年同僚に虎として再会するお話。

こんなファンタジーなお話が

なぜ、教科書に載ることに

なったのでしょうか?

文中に出てくる

「臆病な自尊心」や「尊大な羞恥心」とは

どうゆうことなのでしょう。

そして、なぜ虎になったのでしょう。

詩人作家を目指す李徴(りちょう)

時代は天宝の末年(742〜755年)の

隴西(今の中国甘粛省内)

とにかく頭が良かった李徴は

官史の試験にも合格して進士となり

勤めていました。

性、

狷介、自ら恃むところ頗る厚く

賤吏に甘んじるを潔しとしなかった。

山月記 中島敦

李徴は自分は才能もあるからか

他人と容易に協調できないし

コミュニケーションも苦手。

だから、こんな身分の低い役人には

向いてないので

専業詩人になるために

仕事を辞めてしまいます。

これで下吏となって俗悪の大官に

長時間、膝まずかなくても良いし

そんなことより詩家として

死後100年までも名を残そうと

考えていました。

ママ
ママ

こんな“夢見る夢男“現在でも居そうですね

才能は確かにあったのでしょうが

妻子もあるのにこれってどうなる

のでしょう。

再び、地方官吏に戻る

やはり、生活していけませんでした。

自分も痩せこけて

妻子の衣食もままならなくなりました。

そこで、また東へ行き人と交わる

役人の職に戻ります。

ママ
ママ

無理に戻っても続けられるのかしら

こんな夢男なのに…

李陵、発狂する

役所に戻ったら戻ったで

もう、同僚たちは出世してしまっている。

自分はまた1からやり直し。

李徴のようにプライドの高い男は

この状況に耐えるのは

至難の技と思われます。

しかも、詩を書くというやりたいことが

あるにも関わらず

生活のためにそれを捨てて

きているのにこの有様なのです。

李徴、出張先の宿から

急に飛び出して行方不明に

なってしまいます。

ママ
ママ

ここから急に“ファンタジー“になる

今まであんなに殺伐とした

現実を見せていたのに…

李徴、虎になる

翌年、袁傪(えんさん)が監察御史

(官吏の取り締まり・賦役・監獄の

 監督をする人)となり

人喰い虎が出るという商於に

やってくる。

すると草むらから猛虎が出てくる。

虎は袁傪に飛びかかろうとした

けれど、おっととと草むらに

また隠れた。

すると「危なかった」という声を聞いて

その虎が友達の李徴だとわかる。

李徴は袁傪と旧交を温める

李徴は草むらに隠れたまま

袁傪はその声を聞いて虎の姿を

見ないで話している。

ママ
ママ

確かに、友達だって言われても

虎とは喋りにくいよね〜

もう、本格的に“虎“になりそうなので

俺の今、頭にある詩を書き留めて

欲しいと袁にお願いする。

産を破り心を狂わせてまで

自分が生涯それに執着したところ

ものを一部なりとも

後代に伝えないでは

死んでも死に切れないのだ。

山月記 中島敦

しかし、袁傪は感嘆しながらも漠然と

感じたことがあった。

成程、作者の素質が第一流に

属するものであることは疑いない。

しかし、

このままでは第一流の作品となるには

何処か

(非常に微妙な点に於いて)

欠けるところがあるのでは

ないか、と

山月記 中島敦

なかなか辛辣なコメントですね。

虎になった今でも

有名詩家になる夢を見ていると言い

それを聞いた袁傪はこの詩人の

薄幸を嘆いた。

ママ
ママ

やっぱりピカイチな才能では

なかったのね。

虎になるほど、

詩人に執着してたのにね。

臆病な自尊心と尊大な羞恥心

李徴が自分が虎になったのは

詩人になりたいと願いながら

進んで師に就いたり、

求めて詩友と交わって切磋琢磨に

努めなかった事、

そして、自分はそこらの詩人と

同じと思われたくないと

いう思いもあった。

それらは

臆病な自尊心と尊大な羞恥心のため

だと言っています。

ここで思うのは、

李徴の詩は第一流に属するが

何か足りない“超絶感“がないと

袁は感じていますが

李徴は自尊心のも羞恥心にも

振り切れない“平凡さ“が

作品に滲み出てしまい

虚栄心だけが浮き彫りになって

しまったのではないでしょうか。

己の珠に非ざることを惧れるが故に

敢て刻苦して磨こうともせず、

又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に

碌々として瓦に伍することも

できなかった。

山月記 中島敦

虎の正体は

自分の中の尊大な羞恥心が

猛獣となった姿である

と李徴は分析している。

ないわけではない程度の“自尊心“

偉そうにしているように見えるけど

ただ、恥ずかしがってるだけで

人と交われない怠惰な自分が

最後に

はっきり表すことができるのは

その道で認められたいという

“虚栄心”だけだったのかも

しれません。

それが恐ろしい虎の姿と

なったのかもしれません。

己は次第に世と離れ、人と遠ざかり

憤悶と慙恚とによって

益々己の内なる臆病な自尊心を

飼いふとらせる結果となった。

人間は誰でも猛獣使であり

その猛獣に当たるのが、各人の性情

だという。

己の場合は

この尊大な羞恥心が猛獣だった。

虎だったのだ。

山月記 中島敦

自分を失い、妻子や友人を苦しめた

内心に相応しい外見になったと

李徴は自嘲しながら言っているのを

泣きながら袁傪は聞いていた。

まとめます

夢を追いかけて詩人になったことで

家族や友達に迷惑をかけたから

虎になったとか

謙虚さが足りないから虎に

なったというのはちょっと

無理があるので教育として

道徳を教えるのであれば

この作品が相応しいかどうか

難しいと思いました。

虎になったのは別として

著者の実生活においての心情には

近いのかなあと思います。

教師をしながら作品を描いていたが

病気のため気は進まなかったが

負担の軽い役人になり

パラオへ行くことになる。

行く前に作品を同じ作家に預け

その作品が出版されたという連絡を

待っていたが一向にこなかったのを

気に病んでいたという。

(Wikipediaより)

結局、パラオから帰ると専業作家になる。

虎にはならなかったが

こんなに優秀な著者ですら

作品が認められるか不安だった

のでしょう。

山月記
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