【考察 あらすじ】太宰はなぜ一人で死なないのか?/ 斜陽 /太宰治著

斜陽斜陽
スポンサーリンク

太宰は希死念慮が強く

何度も、死にたい衝動にかかれ

その度にその時出会った女性を

道連れにしている。

最後、本当に死んでしまうまでに

3人の女性を関わらせている。

太宰はなぜ、一人で死なないのでしょうか?

そして、

どうして何回も死ねなかった

のでしょう?

太宰治が著した『斜陽』は

太宰作品の集大成のようなお話。

これを読めば

そのわけを知るきっかけに

なるのでしょうか?

あらすじ

このお話の背景は

昭和の初めごろ。

当主もいなくなった

落ちぶれた貴族の一家は

叔父の助けでなんとか暮らして

いましたが

とうとう、東京の自宅を売り

伊豆の別荘に移り住むことになる。

使用人も全て解雇し

母と娘の二人きりの田舎暮らしが

始まる。

娘は畑を耕しながら、慣れない家事を

しながら

戦地に行ったきり返ってこない

息子を待っている母親を

励ましながら気丈に暮らして

いました。

ある日、

息子の直治が帰ってきます。

落ちぶれてしまった我が家を

憂いながらも

ブラブラと酒を飲みながら

怠惰に暮らす直治。

麻薬中毒の既往がある

ある意味弱い直治に真っ当なことを

諭してみたところで

通じません。

直治の娯楽のお金の工面に

姉のかず子は着物などを売り

奔走します。

そして、どんな状況の中でも

貴婦人であった母親は

病で亡くなってしまいます。

そんな生活の中で

直治の知り合いの妻子もち小説家

上原と出会う。

上原は

百姓の息子で

彼に上流階級の子息にない

強さやしたたかさが

バツイチで大人の女である

かず子には魅力的に感じ

「あなたの子供が欲しい」と

手紙に綴り、

上原はそれに応えるように

かず子との逢瀬を迎える。

その頃、直治は遺書を残して

自殺してしまう。

直治

戦前も戦時中戦地でも

麻薬に溺れ、

生き抜くことが困難なことが

伺える。

上流階級で生まれ、生きるために

あくせく労働しまかればならない状況や

他人にお金を恵んでもらわなければ

生活できないなんてことが

身に降りかかってきて

今までの疑問が鮮明となり

打ちのめされる。

それは「平等」ということ。

生まれながらにして特権が

与えられ、

生まれ落ちたその日から

貴族だったのです。

母親がしゃがんでいると

誰もが「花を折っている」というが

実際は「おしっこ」をしている

という具合になるくらい

気高い「貴族」なのです。

「平等」というのは

上原のような、百姓の子にとっては

「そりゃそうだろ〜」と受け入れられる

ことであっても

直治にとっては

「不平等」極まりないのです。

かず子

かず子は直治のように

うじうじしません。

上原の子供を私生児として

産み育てることで

上流階級に生まれたことを

跳ね返すような

「道徳革命」としようと

母や弟亡き後も生きていきます。

なぜ、一人で死なないのか?

直治の遺書

本書から考えるのであれば

直治の生い立ちは

太宰のそれに似ているので

それから考えてみます。

直治は遺書に

僕は下品になりたかった。

(中略)

父の血に反抗しなければならない。

母の優しさを、拒否しなければならない。

姉に冷たくしなければならない。

そうしなければ、

あの民衆の部屋にはいる入場券が

得られないと思っていたのです。

斜陽 太宰治著

結局、その「下品」にはなりきれず

民衆の中では

“坊ちゃんくずれ“と揶揄され

仲間に入れず、

かといってもう

いわゆる「上級サロン」にも

吐き気を催してしまう。

捨てた世界にも戻れず、

民衆にもなれず。

そして、

「人間、みな同じものだ」と

いう民衆に

その言葉に脅迫され、怯えて震えて

恐怖し生きなくてはいけない苦しさを

もう麻薬や享楽でごまかすことが

できなくなってしまったのです。

好きでもない女を道連れに

直治は山荘に女連れでやってきます。

かず子は上原と逢瀬中なので

ちょうどいません。

衝動的に

「死ぬなら今だ!」と思った直治。

遺書には

洋画家の奥さんを

好きになってこがれている

書いてありますが

結局、告白もせず(旦那が怖くて)

“好きでもなんでもない“女を

伴って死場所へとやってきている

のです。

本書では“心中“とは書いていませんが

第一発見者は姉であって欲しいと

書いてあるところから

一緒にきた“好きでもなんでもない”

女と心中したとも考えられます。

本書では、直治はこの時しっかり

絶命してしまいます。

女を道連れにするということ

僕はきのう、ちっとも好きでない

ダンサア(この女には、本質的な

馬鹿なところがあります。)

それを連れて山荘に来た…

斜陽 太宰治著

はっきりした心中の描写が

ないにしろ

女と連れ立ってきた場所で

自殺する場面を描く無神経さを

著者には抱いてしまいますが

(この作品を書くまでに、二回心中している。

 最初など知り合ったばかりの

 女性と心中し相手の女性だけが

 死んでしまった!)

この時の女性は好きな男性が

「死のう」と言えば

簡単に一緒に死んでしまうのでしょうか?

それとも

そんなに深く生死を考えない?

今では考えられない従順な女性を

選んで心中しているのでしょうか?

直治の場合、本書から考えると

そうなのでしょう。

太宰が一緒に心中した相手は

上流階級の貴婦人ではなく

どちらかと言えばその対極な女性。

誇り高いというより

従順や素直な女性をそばに置くのは

民衆と迎合した上流階級者を

気取りたかったからかもしれません。

決してかず子のような

“道徳革命“を起こすような女性を

好きにはならないのは

そんな女性は太宰ともに死には

しないからでしょう。

かず子を描いたのは、

うまく迎合していく者への

憧れと軽蔑の

入り混じった感情からなのかも

しれません。

太宰は最終的には、

奥さんではない自分を慕ってくれる

一般女性と入水自殺し絶命した。

“入水“も多いのです。

不確かでない方法を選ぶのは

心中相手に対して

深い愛情があるからというわけではなく

“罪悪感“や死に対する恐怖があるからと

私は考えてしまいます。

私なら深い愛情があり、

この人となら死んでも構わない

と思える相手なら

確実に死ねる方法をとります。

そんな相手と“2度“はないからです。

貴族としてのプライドを持ちつつ

時代に迎合できない

焦りと恐怖がありながら

それでも

生き方を改革してまで

生き抜こうとできなかった

太宰には死の恐怖を和らげてくれる

一緒に死んでくれる女性が

必要だったでしょう。

それも

上流階級に女性ではない

大衆の女性と

心中することによって

自分はちゃんと時代に迎合している

と肯定したかったのかも知れません。

または、

そのことで民衆と迎合できたと

自分や世間に知らしめているようで

実は自分の完璧な毛並みの良さを

証明するための露悪趣味の

道具として女性を

みていたのかもしれません。

だから、生死や体裁を考えない

衝動的な行動に付き合えるような

女性に惹かれたのかも知れません。

感想

まあこれだけ

一緒に死んでくれる

女性がいるのだと感心して

しまいます。

最後の山崎富栄さんは

死ぬ気で恋愛していたよう

なので

太宰が死ねば死ぬと

決めていたのでしょう。

二人で今度は

絶命してしまいます。

しかし、太宰にとっては

色恋沙汰は人生において

そんなに重要ではなかったような

気がします。

それよりも自分は特別な人間として

認められたかったように思います。

11人兄姉の10番目では

嫌だったのでしょう。

斜陽
スポンサーリンク
スポンサーリンク
inuimieをフォローする
スポンサーリンク
ぽつのブログ

コメント