【考察】授業がないと勉強は遅れるのか 座右の諭吉 斎藤孝著

座右の諭吉
アイチャッチ
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コロナの影響で約2ヶ月近く休校と

なり、勉強の遅れが気になり9月入学も

あるのかなあと思っていましたが

その案は見送りとなったようです。

授業を受けれない子たちは

やはり、勉強が遅れてしまうのは

仕方がないのでしょうか?

NHKの教育番組の『にほんごであそぼう』を

監修された教育学者の斎藤孝著の『座右の諭吉』

に考えるヒントが載っていたので

紹介します。

斉藤孝著の『座右の諭吉』紹介

著者は斎藤孝。

私が知ったのは子供が見ていた

NHKの教育番組『にほんごであそぼう』の

企画、監修をされていたことから

その関連で出版された絵本を子供に

買ってあげたのがきっかけですが

テレビのコメンテーターなどにも

出ていてマスメディアでも活躍中の

先生です。

そしてこのように世に出てくるまでの

長い修行時代に共感していた書物

『福翁自伝』を読んで自分に似通ったところ

があると思い

それを「生きる指針」として紹介している。

諭吉から教育や事業について学ぶべき

ことが分かりやすく書いている本です

福沢諭吉はお札といえば聖徳太子の座を

奪っただけあって『学問のすゝめ』や『文明論之概略』

などの名著を残し、慶應義塾の創設者。

学問といえば福沢諭吉。

どのような学習をしていたのでしょうか?

勉強法は自力主義

私たち現代人は、人に教えてもらうのが

勉強だと思っていますよね。

学校で授業を聞いてさえいれば

勉強は理解できる、

わからないことは習えばできる

そう思っている。

果たして本当にそうなのか?

人がしゃべっている間は勉強にならない。

著者は

学ぶことの基本形は、学ぶべき事柄を定め

自力で徹底してやっていくことにある。

座右の諭吉 斎藤孝著

このことは

今の教育を受けている人は見落として

いる点である。

実は

他人が講義している間はさして

勉強になっていないと言う。

確かに私自身も授業で聞いたから

理解できるということを実感したことが

少ない。

大切なのは自力で学問をやれる素地を作る

講師の話を聞いている時は

自分は受け身として聞いて

いるので、学習の動機が薄い。

やはり学習をしっかり理解するには

能動的な自らの学習態度が要求される。

諭吉たちが活躍した幕末は

例えば、英語の学習がしたいと思って

師を探しても叶わず、

辞書を手に入れて自力で学ぶしか

なかった。

籠もりっきりで昼も夜もなく

勉強に没頭した。

ある時、諭吉は兄と同居していたが

熱病で寝込んだ。

兄の家来に枕を持ってくるよう

頼んだが、枕がない。

あっそういえば、1年ほど夜具を

使って寝たことがない。

そのぐらい勉強に没頭していた

というエピソードがある。

この時代の熟生たちは諭吉以外でも

みんなこのような状態であった。

なんのために学校はあるの?

勉強は諭吉のように自力で行い

同じ志のものを集め切磋琢磨させるために

競争させるためだと本書には書かれています。

「内証で教えること、聞くことも

書生間の恥辱として、万が一も

これを犯す者はない」

福翁自伝

諭吉にとって塾(学校)は競争空間でしかない。

要は試験を行う場所として活用していた。

幕末から明治にかけて活躍した多くの人を

輩出した初代塾頭、緒方洪庵が務めた

『適塾』(諭吉は10代塾頭)では、

みんなの前でトップを張り合い、級を定め

登級することで上に行きたい気持ちを

煽って学習成果を上げさせる。

まとめます

そうは言っても、諭吉も英語を学ぶのには

流石に誰かに教わりたいと思った。

しかし、師は見つからない。

そんな時は、同じ志の人を見つけ

効率よく学ぶという方法をとっていましたが

学習は教室を出てから始まると言われます。

授業が学習の全てではないようです。

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