【感想】ヘタな人生論より徒然草 荻野文子 勉強には環境が大切なのか?

ヘタな人生論より徒然草
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進学校に入学すると本人よりも

周り(特に母親や父親)の方が

成績の伸び悩みに気を病むことが多い。

そして

塾や予備校に行くように促しても

勉強に身が入らないのか

思うように成績が上がらない。

こんな時、本人より親の方が心配に

なるようです。

もう学校なんて辞めてしまえ!

保護者懇談会でのこと。

進学校として数えられるこの学校で

母親を中心に子供の近況を報告。

その時

「もう、こんなに勉強しないんだったら

学校も辞めてしまえと主人が怒鳴る有様に

疲れてしまう。」

という母親の意見がでることがある。

確かに進学校に通っている限り

期待しないという事には

無理がある。

私も同じように思ったことがあるけれど

この本を読んで気持ちを諫めることが

できたので紹介したい。

勉強のやる気がないなら進学校へ行くのは無駄なのか

子供に少しでも勉強の環境を整えてやりたい

と考えたことの一つとして

学校選びや塾選びがあるが

本人がやる気がないなら

どれだけ選りすぐりの学校を選んでも

意味がないのだろうか。

この本では

徒然草の第58段を参考に普段、著者が

予備校で「徒然草」の授業をしている内容が

書かれているのですが

その中で

「そんなことでは隠遁(出家)した意味が

ない。それくらいならば、どうして俗世を捨てたのか」

などというのはひどい話である。

なんと行ってもやはり

一度仏道に入って俗世を厭い

離れるような人は、

たとえ欲望があるとしても

権勢を誇る人の貪るような欲深さとは

似ても似つかぬものであるはずだ。

紙の夜具、麻の衣、一鉢の食物、

野草の藜の汁物、そんなものが

どれほど人の出費に負担をかける

だろうか。

求める物が簡単に手に入り、

その欲望はすぐに満ち足りるに

違いない。

僧形に恥じるところもあるから

そうは言っても、悪には遠ざかり

善には近づくことのほうが

圧倒的に多い。

徒然草第五八段 現代語訳 荻野文子

ちょっと長かった💦

ここでは、

進学校へ行く、塾へ行く=出家する

と考えたら、

出家したからすぐに俗世のことが

捨てあれないからといって

出家しても、意味ないんではない?

というのは、間違っている。

と兼好は言っている。

俗世が捨てられないといっても

出家した状態で求めるものなどは

たかが知れてるという。

著者は、進学校へ通ったり予備校へ

行ったりしているものが

羽目を外すといってもたかが知れていると。

ドラックをやったり

夜な夜なメールで援助交際の相手を

探したりなどのケースは圧倒的に

少ない。

紙の夜具、一鉢の食物=少年ジャンプ、マック

程度のことで

学校へ行かないのとでは

圧倒的に勉強に近いということ

を言っています。

まとめ

やる気がなくても学校へ行くだけで勉強に近い

つい、カッとなって

「そんなのやる気がないなら、学校に行くな!」

とつい言ってしまいますが

兼好は出家しただけでも

悪は遠ざかり、善が近づくと

言っています。

カッとなって辞めさせることは

逆に勉強から遠のくということ。

本末転倒といいことです。

環境が大事

裏を返せは、やる気だけではない

ということも

兼好は言いたかったのでしょう。

やる気があればどんな環境でも

集中してできるというのは

理想論を並べ立てる

教育ママゴンなのでしょうか?😆

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