今まで育ててくれた両親への
親孝行してあげたい。
父母が衣食に困らないように
助けてあげたい。
しかし、
自分たちの生活だけでも精一杯。
そんな、やるせない“孝子“の
励みになるようなことが
本書の一節であるにあったので
紹介したいと思います。
参考:「論語」の読み方 渋沢栄一
(編・解説 竹内 均)
渋沢栄一と論語
渋沢栄一は
明治初期には“日本実業界の父“と言われ
数々の今尚発展を続けている
大企業などを手掛けた人。
経済と共に道徳を重んじ
『論語』を教訓とし
日常や人生のあり方を
後進に説いていった。
この『「論語」の読み方』は
渋沢栄一の『論語講義』の要素を
集大成したもので
渋沢栄一が『論語』を日常生活に
いかに取り込んでいたかが
ありありと
わかる本になっています。
子游、孝を問う
子曰く、今の孝なる者は、
能く養うことを謂う。
犬馬に至るまで、
皆能く養うことをあり。
敬せざれば何を以てか
別たんや。[為政]
論語 孔子
孔子は門人子游に
「親孝行とはどんなものですか?」と
尋ねます。
すると孔子はのたまわります。
「よく世間で言われているのは
ただ、父さん母さんが食べたり暮らしに
困ったりしないように
気をつけてあげることだと思うが
それはただよく“養う“と言うだけで
十分とは言えないよ。」
それはどうしてでしょう?
孔子は言います。
「それだったら家で飼う犬や馬も
食物を与えて可愛がっているよ。
よく“養う“だけなら父母も犬馬も
同じことをやっているよね。
父母に対しては
ただ、
衣食の面倒を見るだけではなく
“尊敬“の念を表さなければ
いけないよ。
孝(行)と養(う)
を兼ねて行わないと
本当の孝行にはならない。
母を背負って善光寺詣り
ここで、渋沢栄一はこの孔子の発言に
対して
九州の豊前国宇佐郡津房村の
神崎右京という人の話を引用しています。
この人は若宮八幡の神職だったが
貧しかった。
右京には八十二歳の母がいたのですが
その母は足が不自由で目も病のため
よく見えなかった。
そんなところからか
この母はひがみが強く
邪推深く、扱いにくい人だったにも
関わらず
右京はそんなことは気にせず
誠実に仕え、楽しく暮らせるように
努力した。
ある日、母親は
「死ぬ前に信濃の善光寺に参詣したかった
けれどこんな足や目では歩行もままならず
いくことなんかできない。」
と不満を漏らすと
右京は
「大丈夫!私が連れていってあげますよ。」
と言った。
しかし、路銀も少ないだろうに
どうするのか?
右京は言います。
「母を背負って行くつもりだ」
そして、息子にも加勢を依頼する。
また、息子、多宮二十二歳も快諾する。
寛政5年3月に
二人は母(老婆)を背負い出発。
路銀は道端で物乞いをして
三百里(一里4km×300)を野宿しながら
5月に善光寺につき参詣。
8月に豊前に帰ってくるという
恐ろしいスケジュールを親子で
達成する。
この“孝行“は
領主の知るところとなり
米麦を賜り表彰される。
この“難事“を果たすためには
これほどの深い
“孝心“が必要だと
渋沢栄一は孔子の言ったことを
強調しています。
まとめます
“母を背負いて善光寺詣り“ですね。
渋沢栄一の活躍した時代は
(幕末から明治初期)では
親孝行も半端ないですね。😆
孔子の言葉をさらに強調した
内容で後進に伝えている。
渋沢栄一は『論語』が一番
中国の古典の中では
生活の中で実行しやすいと
『論語』を採用していますが
自分の親の“孝行“のために
孫にあたる子供を使うところは
孔子もびっくり
“親孝行“かもしれません。
😆
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