【感想】幸も不幸もない妻「ヴィヨン(詩人)」『ヴィヨンの妻』太宰治著【あらすじ】

ヴィヨンの妻ヴィヨンの妻
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芸術家の妻とはどのようなもの

なのでしょうか?

この作品には主人公の夫の詩人を

取り囲むたくさんのパトロン的

女性が登場します。

“妻“と呼ばれる主人公は

これらたくさんの女性とどう違う

のでしょう。

著者自身はこの作品の妻を

どう表現したかったのでしょう。

あらすじ

ある日、夫が息を切らせて

帰ってきたかと思うと

しばらくして夫の行きつけの小料理屋の

女将と旦那が「どろぼう!」と

言いながら家に訪ねてきた。

どうやら夫は、お客として行きながら

3年間、ろくに代金を払ってない

どころか、

その日はお店のお金5千円を

ふんだくったということらしい。

返さなければ警察に突き出すという

小料理屋の夫婦に対して夫は

愛蔵のジャックナイフをかざし

家を飛び出していってしまった。

残された妻は事情を聞き

明日まで警察沙汰は待ってほしい

と懇願する。

一応聞き入れてくれた夫婦は

帰ってくれたが

次の日になっても良いアイデアが

浮かばない。

そこでなんのあてもなく

工面もすることができず、

とりあえず小料理屋にいって

そこでお店を手伝いながら

何か策はないかと考えていると

奇跡的に夫がパトロン女性と

一緒に店にやってきて

昨日盗んだお金を返しにきたのだ。

妻はこの店の借金分はここで働いて

返すということを思いついて

お店側に提案する。

すると、妻の働きっぷりをみた夫婦は

妻が夫の借金の代わりに

働くことをを承知した。

子連れながら小料理屋でお客の相手を

しながらも活気ある幸せな時間を

過ごしている反面

酔っ払いの男性や商売人を見て人間とは

見かけよりもあざとく卑しいものなのだと

思い始め、あの夫の方がマシだと

思うようにさえなってくる。

そして、妻は体裁や貞操より

生き抜くことが大切なのだと

悟るのだった。

妻の生活ぶり

坊やは来年四つになるのですが

栄養不足のせいか

または夫の酒毒のせいか

病毒のせいか

よその二つの子供よりも小さい

くらいで歩く足許さえおぼつかなく

言葉もうまうまとか

イヤイヤとかを言えるくらいが

関の山で…

ヴィヨンの妻 太宰治著

子供の生育に影響が出るほどの

貧困ぶり。

また家自体はちゃんとあるのですが

腐りかけているような畳

破れほうだいの障子

落ちかけている壁

紙がはがれて中の骨が露出している襖

片隅に机と木箱

それもからっぽの木箱

そのように荒涼たる部屋の風景に

接してお二人とも息を呑んだ

ような様子でした。

破れて綿がはみ出している

座布団を私は二人にすすめて…

ヴィヨンの妻 太宰治著

なんだか家が荒廃しているというより

この妻がもう生きる気力を失って

いうように感じられます。

生活費は詩人の夫がお世話になっている

雑誌社の人が妻を気の毒に思って

わずかなお金を時々持ってきてくれる

のでそれでなんとか暮らしていました。

妻は小料理屋で働く

次の日、どうにかしないと

思案していると

夫の論文を載せた雑誌の広告を

電車の天井にぶら下がっている

ポスターで見つけた時

思わず泣けてきた妻。

“妻“と言っても籍も入れてない

名ばかりの妻。

この時の妻の気持ちは

察するにあまりあります。

そして最終的には

「自分が働いて返そう」となるのです。

それは今まで思案するだけで

何もできなかった怠惰な生活ではなく

お化粧をしたり、

髪の毛をサロン(美容室?)で整えたりと

“労働“という骨の折れることをしながらも

どこか浮き浮きした楽しい日々と

過ごすことになったのでした。

家にも寄り付かなかった

夫もこの小料理屋にはよくきて

いるので、

家でじっと待っていた時よりも

夫に会うこともできます。

一石二鳥でした。

“椿屋のさっちゃん“などと呼ばれて

上機嫌でした。

自分で人生を変えることができることは

快感なことで

日頃の貧乏暮らしも

苦にならないようになった

ことでしょう。

妻には神が見えない

神によって生かされているから

死にたいけれど死ねないという夫。

そんな夫と対照的に働き始めた妻は

とても楽しく、

これが幸せというものなのかと

思える毎日だったのですが

しばらく働き、

そこで多くの人に出会う日々の中で

お酒を飲みにきている店のお客さんは

みんな犯罪者のように

思えるし、

道を歩いている人ですら

何か後ろめたいことがあるに

違いないなど考えるように

なって行きます。

そして、とうとう店のお客に汚されて

しまいます。

まとめます

「5千円を盗んだのはさっちゃんと坊に

良い正月をさせてあげたかったから」

と夫は妻を他の大勢いるパトロン女性と

同じようにあしらっています。

そのことに対して、他の女性と

違ってなんの感動もしなくなった妻。

妻も最初は自分でお金を工面できる

喜びに浸っていましたが

そのことで今まで知らなかった

人の汚い部分まで知ることになり

あんなに自分を不安にさせていた

夫のことをまだマシと思うことに

なった。

また、夫が言った

「女に幸も不幸もない」の言葉を

妻はしっかりと自覚することに

なりました。

著者にとって自分のピンチを

救ってくれる

パトロンのような妻ではなく

どんなに貧しくても自分の庇護から

脱出せず

世の中の汚いところを見ずに暮らす

高尚で清い妻を求めていたのかも

しれません。

妻も夫の荒んでいくわけが

それでも誤魔化し生きていかなければ

ならない理由が

理解できたのことでしょう。

ヴィヨンの妻 太宰治
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