【感想】皆は長い鼻を笑っていたのか? 鼻 芥川龍之介著 【あらすじ】

芥川龍之介 羅生門
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顔の正面にある鼻が顎まで伸びていたら

やはり、どうしても見ちゃいますよね。

あらすじ

細長い腸詰めのような鼻が

顔の正面についている禅智内供は

その鼻のことを知らないものは

池の尾(地域名)ではいませんでした。

五十歳を超え宮中に仕える高僧になる

今まで本人は

特に気にしてない様子で

振舞っていましたが

本当は、なんとかならないかと

悩んでいました。

それは、実際食べるのに鼻が邪魔で

介助がなければ、食事ができな

それだけでなく

そんな鼻だから

僧侶になったんじゃ無いかと

揶揄されるのも嫌でした。

ゆえに、鼻が少しでも短くなるように

いろんな事を試してみますが

うまくきません。

このようなことが京都まで伝わり

ひどく自尊心が傷つけられます。

同じような者を見つけて安心したくても

周囲にはそんな鼻に特徴のある人は

いてもこのように長い鼻をもつ者は

いませんでした。

しかし、ある日京都へいった弟子の僧から

鼻を短くする方法を教わってきた

という朗報が舞い込んできます。

しかし、普段そんな事を

気にしてない風を装ってたため

なかなか、聞きたい実施したいと

その弟子に切り出すことが

できません。

そんな時、内供から

「食事のたびに弟子の手を煩われる

のは心苦しいなあ〜」みたいな

感じで弟子にそれとなく

促して欲しいかのように話すと

弟子もそのストレートに言えない

内供を気の毒に思い

とうとう、鼻を短くする施術を

やってみることになります。

その方法は、お湯に鼻先をつけて

温めた上で、踏んづけて取ってしまう

というもの。

それがうまくいき、鼻は普通サイズ

に戻りました。

この時は念願かかなったので

晴々とした気持ちになったでしょう。

しかし、これからはずっと

この内供は

そのコンプレックスがなくなり

堂々とスッキリした気持ちで

生きていけるのでしょうか?

鼻は短くなったけれど…

鼻は短くなったにもかかわらず

まだ、こそこそ笑われることになる。

見慣れた長い鼻より

見慣れない短くなった鼻の方が

皆には滑稽に見えるのだ。

しかしどれだけでは無いようです。

同情から消極的な敵意に変わる

今まで、内供の不幸(鼻が長いこと)を

同情していた対象が

その不幸を克服すると何か物足りなさや

つまらなさを感じもっと言えば

もう一度同じような不幸に

見舞われたらいいのになんて事を

消極ながら感じるようになり

しいては軽い敵意まで感じてしまう

人間としての矛盾した感情が

あるのだろうとこの僧侶は

考えて、不機嫌になったり

怒って世話をしてくれていた

中童子の頭をこついたりしてしまう。

鼻が短くなる事で揶揄されることが

なくなると思っていたのに

むしろ、前より好奇な目でみられる。

内供が思い描いていたこととは

少し違ったことになってしまいました。

また、前の鼻の長さに戻る

鼻が短くなりその時は

晴々とした気持ちになったはずなのに

こんなにからかわれることに…

そう思いながら休んでいると

鼻は元の長さは戻ってしまいました。

その時、残念に思うのかと思いきや

短くなった時と同じように

晴々した心持ちになった。

もう、これで誰も晒うものはないに違いない。

まとめます

見慣れないものか見慣れているという

だけで皆の噂に上がるのだとしたら

鼻を短くしたところで

現状が変わるわけではないのだ。

そして、それだけではなく

同情していた対象がその不幸を

うまく切りぬけると

つまらない、物足りなさを感じて

また、その者に

不幸か訪れないかなあなんて

考えてしまう。

そして、事もあろうか少し

憎しみまで感じてしまう。

そうゆう人間の心情を表現した

内容でした。

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