11月1日から全国で公開された『マチネの終わりに』という映画。
福山雅治の新境地とかなんとか。

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朝、起きると6時10分。
いつもより遅い起床だったけど、
休みなのでまあいいか!

今日はランチに行くので
時間は何時に出ようとかと尋ねる
「映画見に行かへん?」と旦那。

まあ今日は空けよと思っていたから
「いいよ。何時にでる?」
「6時50分!」
「そそそーなん?」

急げ💨💨💨

洗濯も無理じゃ。

何着て行こうか?
少し痩せてからあのスカートにしよ〜。
もう寒いのでタイツがいるなあ。

朝ご飯も食べずに
梅田ステーションシティシネマへ。

「何を見るの?」

「えっなんて?マルチ?
よくわからないんだけど?」

でも、映画館のフロントの看板で
わかってしまった!

福山雅治の出てる

『マチネの終わりに』だわ〜。

一度聞いてみたい。
なぜ福山雅治に傾倒しているのか?
何か自分に共通点でもあるのか?
私には一向にわからない。

福山雅治が嫌いなわけじゃない。
むしろ好きだけど。❤️

もし洋子さんが地球のどこかで死んだって聞いたら、僕死ぬよ。
私、結婚するの。
だから、止めに来た。
だって〜。

この “僕も死ぬよ”ってセリフ。

その時はなんとも思わなかったけど
(まあ、今のままでの福山雅治の役では、
こんなこと言わないかなぁ。
ぐらいは思ったけど。)

死ぬかもしれないって言っても
いいじゃない?

未来のことだし…。
でも、断定してるよね。
死ぬよって。

こんなこと世界的ギターリストから言われたら
婚約者いても考えてしまうよね。
増してやいいなあって思ってた
相手だったら尚更だよね。

そうそう
このクラシックギターの演奏も絶対本人が
弾いてるだろうなと
思ったらやっぱりそうだった。
エンドロールに演奏 “福山雅治”って出てた。
ギターは弾けるとは思うけど、
またクラシックは違うんじゃないのかな。
でも、本物思考の努力家の福山雅治なら
自分でやらなきゃ気がすまない
タイプそうだもんね。

エンドロールと言えば、
原作者 平野啓一郎だったのが驚いた。
(本当何も知らずに、見に行ったのね。)
『日蝕』で芥川賞を取った作家だってことは
知ったから。
当時(1999年)、受賞作品はだいたい
読んでだけど
これは、ムズ!と思った経験がある。😢

そうゆう意味では、確かにムズかった。
単純すぎて、このまま受けっていいのかしら?
と思わせるところがあった。
恋愛ものと言うより
文学の香りがして、受け取り方によっては
テイストが変わる。

私が村上春樹の本を読む時に感じる
ムズかしさをこの映画で感じた後に
エンドロールで
この作家の名前を見つけて
驚きながらも、少し合点がいった思いだった。

福山雅治がただのメロ恋愛ものの
映画に出るとは
思えないしね。

人によるかもしれないないけど、
私はあんな些細なことで行き違いになるのが
合点がいかなかったし、
とても親密な関係のような描かれて方を
していた元婚約者とは、
どうゆう風に別れを切り出し、
薪野のところへやってきたのか?
すべてが終わったら日本へ行きます 今度は私が。
まあ、そんなのは、どうでもいいか。

前半の弱々しくうなだれるスランプの感じ 
むるりと洋子に迫る感じは
福山雅治らしくない!
イメージじゃない!
と思ったのは、
今回の映画で福山雅治の新境地と
言われるところかなぁ。

後半、洋子と再会出来ず別れて
またギターリストとして
復活し再会するあたりは
今ままでの福山雅治の味わいを感じられて
嬉しかったな。😆

俳優さんに対して
期待を裏切られるのも、
インパクトあっていいのだけれど、
やっぱり定番もいい。

彼がどんな映画に出ようととも
彼自身の独特の香りが
放たれるのを
期待して見に来ているファンも
いるんじゃないかなぁ。


マチネの終わりに (文春文庫)
平野 啓一郎
2019-06-06